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伝兵衛
伝兵衛
オーナーへメッセージ

2016年06月29日

育児放棄・児童虐待(5

母は魂を病んでいた。母は一日中 アパートで裸で座って、
部屋の隅を見つめていた。母は申し分のない生活を送って
いるのだと思い込んでいた。私については申し分のない娘
だと思い込んでいた。しかし実際は 家の中はまったく混乱
していた。母は外に向けては完全な体裁をつくろっていた。
私たちの家庭がどのような状態であるか 誰も気づかなかった。
母が姉について何を望んでいたかを 姉は理解できなかった
が、姉はもっと苦しんでいた。姉は耳が聞こえなかった。しかし
人の唇を読むことは できたし、言葉を発することもできた。
姉は家を出たいといつも言うていた。
以上は下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/leben/vernachlaessigte-tochter-ich-weiss-nicht-ob-ich-ueberlebt-haette-wenn-sie-aufgewacht-waere-1.3035337
以下 下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/leben/vernachlaessigte-tochter-ich-weiss-nicht-ob-ich-ueberlebt-haette-wenn-sie-aufgewacht-waere-1.3035337-2
しかし母を非難する気はない。母は心を病んでいた。母は ただ
自分のことを貴い人だと思っていただけだ。他人の意見を母は
受け入れることが できなかった。別の意見をもつ人は 基本的に
悪い人だった。母は自分のために助けを求めることは しなかった。
しかしながら母は子ども達を 甚だしく極端なやり方で愛して
いたのだと 私は信じている。(つづく)

  


Posted by 伝兵衛 at 17:36Comments(0)児童虐待

2016年06月28日

育児放棄・児童虐待(4

母は迫害妄想に苦しんだ。母は完全にカプセルの中に閉じ
こもり、防壁をめぐらし完全な世界の中で 自分を守った。
自分の描いた世界の中に、進学校にいたというエリート意識を
もって 隠れた。家の留守番電話のメッセージは次のような
ものだった:「もしもし こちらは天才です。天分の豊かな人
だけが 話しすることができます」。
母は 私には私が一番きれいで、一番よいと言った。他の
人はすべて醜く、悪いのだとも言った。当然、私は長い間
そのようにして育った。母は私をモデルや女優になるようにと
言い、その他のあるべき姿にも追い込んだ。もし私が子ども
モデルとしてデビューしたとしたら、良かったのかも知れない。
私は髪を櫛でとかした。けれど母は二人の子に からだの
衛生について教えなかった。子どもの頃、2回だけ歯を 
みがいたことは ある。それでも今 歯があるのは奇跡だ。(つづく)
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/leben/vernachlaessigte-tochter-ich-weiss-nicht-ob-ich-ueberlebt-haette-wenn-sie-aufgewacht-waere-1.3035337

写真提供:sachiさん  


Posted by 伝兵衛 at 15:36Comments(0)児童虐待

2016年06月27日

育児放棄・児童虐待(3

それから私達二人のこどもは 初めて児童養護施設に入った。
半年そこにいた。それから家に戻った。なぜ戻ったか?私には
今も分からない。母は薬物を使っていた。アパートの部屋中に
錠剤が散らばっていた。色んな男がアパートに出入りしていた
のを覚えている。母は私達の見ている前で 彼らとエッチしていた。
私たち二人はベッドの傍に立って、騒ぎを見つめていた。実は
母は長続きする関係を望んでいたが、どの男も2~3週間以上 
いたことはなかった。それで母は暗い穴に落ち込み、攻撃的に
なった。母は自分の招いた失望を 自分の中に留めている
ことが できなかったので 攻撃的になった。
近所の人たちは段々と圧力を強め、私たち二人の子どもに 
少しは良い環境を作ろうと努力してくれた。その結果、母は
脅されているように感じた。その後母は自分の身内との接触を
完全に絶ち、二人の子を連れてミュンヘンからハンブルクへ
逃げた。そのとき私は8歳だった。(つづく)
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/leben/vernachlaessigte-tochter-ich-weiss-nicht-ob-ich-ueberlebt-haette-wenn-sie-aufgewacht-waere-1.3035337

写真提供:asamaさん  


Posted by 伝兵衛 at 17:33Comments(0)児童虐待

2016年06月26日

育児放棄・児童虐待(2

母は繰り返し 二人の子を児童養護施設に一時的に預けた。
施設にいて楽しかったことは なかったと今も思う。施設は
世話してくれて、食事も出してくれたけれど 子どもは 誰も
施設に心を感じていなかった。いつも母のところへ戻りた
かった。今 思えば それが普通だ。
母は二人の子持ちだったのに、青春時代を取り戻そうと
努力するヒッピーだった。二人の子が赤ちゃんだった頃も 
母はしばしば家にいなかった。子どもは 母がどこにいる
のか知らなかった。私は その頃のことを 覚えてはいない。
しかし誰も子どもの面倒をみないので 子どもが泣き叫ぶ
のを聞いたと隣人たちは証言している。
あるとき母は数日間 いなくなった。母はインドへ行く気に
なったのだろう。母は台所に水を入れたジョッキを一つ置いて、
子どもが喉の渇きで死ぬことのないようにした。私が一歳、
姉が二歳だった。当然のことながら、二人は泣き そして
わめき始めた。隣人は警察を呼んだ。隣人の証言と医師の
報告によると、私たち二人は破滅的な衛生状態にあった。
幾日も オシメを替えていなかったようだ。しかしどれくらいの
日にち 二人が放っておかれたのか 誰も分からなかった。
母は戻ってきたとき 子ども二人がいないので 驚いた。
子どもが どんな危険な状態にいたか 母は分かって
いなかったのだと 私は今 思う。(つづく)
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/leben/vernachlaessigte-tochter-ich-weiss-nicht-ob-ich-ueberlebt-haette-wenn-sie-aufgewacht-waere-1.3035337

  


Posted by 伝兵衛 at 19:03Comments(0)児童虐待

2016年06月25日

育児放棄・児童虐待(1

私は1984年に生まれた。姉を生んだとき母は18歳だった。私は 
その一年後に生まれた。私の父と姉の父は 別だ。後で母が言う
ていたが、妊娠は二つとも妊娠しようと計画したものでない。私たち
二人の子が幼かったころ、ミュンヘンで 2室あるアパートに住んで
いた。母はギムナージウム(高校)に席を置いていたが卒業試験
には合格していなかった。働かなかったから 金はなかった。私達の
アパートの大きい方の部屋は ときには イギリスの留学生に
貸していた。その部屋に6人の留学生が居たこともある。そのとき
私達家族三人は 小さい方の部屋にいた。
母の負担は重すぎた。私の姉は耳が聞こえない。だから余計に
母に負担がかかった。ときには 母は 私達の父親二人に電話
して、子どもを迎えに来てと言うていた。私の幼いころ 父は私
の母にとって悪人だった。母は父が私に接触するのを禁じた。
父は私と会おうと努力した。裁判によって までも 父は私と
接触しようとした。しかし父は婚姻上の父親でないので 当時は
私と接触する機会がなかった。(つづく)
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/leben/vernachlaessigte-tochter-ich-weiss-nicht-ob-ich-ueberlebt-haette-wenn-sie-aufgewacht-waere-1.3035337

写真は 南海電車 孝子駅の近く。この山の下へ 一昨年
蛍を見にいった。今 その川は パイパス工事で潰れた。
去年は 湯浅へ蛍を見にいけた。今年は もう蛍の季節は
過ぎた。  


Posted by 伝兵衛 at 08:11Comments(0)児童虐待

2016年06月23日

ゲイ・プライド・パレードinベルリン(下)

イタリアのフロレンスでは約3万人がゲイ・プライド・パレードに
参加した。ジェノバ・パレルモ・トレビソ・ヴァレセで数千人の
デモが行われた。ポルトガルの首都リスボンでも6月18日に
約5千人のデモがあった。
ブルガリアの首都ソフィアでも 数千人のゲイとレズビアンの
人たちが 性的少数派への寛容を求めて集った。東方正教会と
国家主義者からの抵抗にも かかわらず彼らは警察に守られて
デモをした。これに反対して 国家主義者もソフィアでデモをした。
一方、イスタンブールでのゲイパレードは治安上の躊躇のため
取り消された。アメリカでは シカゴやコロンブスなどで ゲイ・
プライド・パレードが 安全のための防衛を強化して 行われた。
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/politik/deutschland/gay-pride-paraden-brandenburger-tor-strahlt-in-regenbogenfarben-a-1098457.html

  


Posted by 伝兵衛 at 17:09Comments(0)性少数派

2016年06月22日

ゲイ・プライド・パレードinベルリン(上)

ブランデンブルク門が虹色に照明され、数十万人がパレードに
参加し、アメリカ・オーランドゥでの犠牲者を追悼した。ベルリン市
政府は門を虹色に照らすことによって、同性愛運動への連帯
の気持ちを表した。
6月12日の夜、オーランドゥのゲイクラブで イスラム教徒の
暗殺者が49人を殺し、53人を傷つけた。6月18日(土)に世界中で
LGBTが パレードしてオーランドゥでの犠牲者を追悼した。
最大のパレードは ウィーンでのもので、主催者発表によると
13万人が参加した。フロリダでの流血の惨事への最善の答えは 
このような祭りを盛大に行うことだと参加者は述べた。(つづく)
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/politik/deutschland/gay-pride-paraden-brandenburger-tor-strahlt-in-regenbogenfarben-a-1098457.html

写真提供:SACHIさん

★紀州 日高の中学を60年前に卒業した人たちのOB会が
昨日 みなべで開かれたそうでして、九州から参加した人が
JR和歌山で途中下車して 会いたいと電話くれました。
また来年も会えそうです。
鹿児島県 吉松と宮崎県 都城をつなぐ電車 吉都線は
「ふたりの吉都線」という ご当地ソングになっています。
和歌山市内のタイ レストランで聞きました。
韓国の演歌にも 列車を扱う歌が ありまして たいてい
別れて それきりに なります。しかし吉都線の歌は
再会できるという 目出度いものです。

  


Posted by 伝兵衛 at 18:29Comments(0)性少数派

2016年06月20日

変えることのできるものについては、

「変えることのできるものについては、それを変えるだけの勇気を
我々に与えたまえ。
変えることのできないものについては それを受け入れるだけの
冷静さを与えたまえ。そして 変えることのできるものと できない
ものとを識別する知恵を与えたまえ」。
この言葉は アメリカの牧師ラインホルト・ニーバーがマサチューセッツ州の
小さな教会で説教したもので・・・
以上は 月刊 大法輪2016年6月号 p.147の 遍路紀行家 武田喜治、
”遍路で学ぶ生きる知恵 95.山は動かない”から抜粋。
★ ダルクやアルコール依存症者の自助グループの集会で 上記の
言葉の少し短いのを 毎回 読みます。言葉は 短くしてしまうと 
分かり易さが減ります。
ダルクも いつもの文章の改訂版を つくっても ええのにと 思う。

写真提供:SACHIさん  


Posted by 伝兵衛 at 17:45Comments(0)薬物依存症回復支援

2016年06月16日

井波彫刻職人 刑務所でも技術指導

日本経済新聞2016年6月2日(木)文化欄から抜粋:
見出し~欄間の技で革新 彫る。井波彫刻職人 南部白雲さん。
富山県 南砺市に伝わる井波彫刻の職人は200人ほど。
井波彫刻は1760年ごろ、南砺にある浄土真宗の瑞泉寺再建の
ため彫刻師が京都から派遣されたのが始まりとされる。
他の地域とは違って、分業制をとらず、下絵描きから荒落とし、
粗彫り、仕上げ彫りまで すべて一人で手掛ける。
70年ごろから刑務所での指導を始めた父が97年に死去。月2回の
講座を引き継いだ。暴力団員・すり・薬物使用者などの受刑者と
共に今までに完成させた神輿(みこし)は約2200にのぼる。
刑務所の教え子は40人ほどになった。

  


Posted by 伝兵衛 at 17:58Comments(0)薬物依存症回復支援

2016年06月15日

ゲイ・パレード/警官に守られながら

ウクライナの首都キエフで 初めて多人数のゲイパレードが
行われた。6500人の警官がパレードに並行して歩き、参加者を
守った。約60人の極右主義者がデモを阻止しようとしていた。
ポーランドの首都ワルシャワでも 6月11日(土)にLGBTの
デモが行われ、多数の警官がデモを守った。
ウクライナの政権は 西側に友好的であり、去年11月にウクラ
イナがEUに接近してから、性的少数派への差別を禁止している。
ワルシャワでのデモでも、性的少数派のために結婚と養子縁組を
認めることを求めた。100人以上の有名なポーランドの同性愛者は 
ゲイやレズビアンの人にカムアウトするよう呼びかけた。呼びかけ人
の中には ゲイであるSlupsk市長Robert Biedron やバチカンの
聖職者 Krzysztof Charamsa がいる。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/gesellschaft/zeitgeschehen/2016-06/lgbt-ukraine-gay-parade-kiew

  


Posted by 伝兵衛 at 16:12Comments(0)性少数派

2016年06月14日

講演「ギャンブル依存からの回復」

講師:滝口 直子 教授(大谷大学)
2016年6月25日(土)18.30~19.30
参加費:無料。事前申し込み不要。
会場:キャンパスプラザ京都 第3講義室(京都駅前ビック
カメラ向かい)。
ギャンブル依存症家族の体験談もあります。
日本で ギャンブル依存症と推定される人は 人口の4.8%
(男8.7、女1.8%)と諸外国の1~2%前後と比べて突出している。
主催:関西アルコール関連問題学会(事務局:新生会病院 
医療福祉相談室 TEL 0725-53-1222

写真提供:那智勝浦おとん様  


Posted by 伝兵衛 at 12:52Comments(0)ギャンブル依存

2016年06月13日

上岡陽江・大嶋栄子著、”その後の不自由「嵐」のあとを生きる人たち”

医学書院、2010年刊。
月刊 みすず、2016年1/2月号p.109の保坂和志(小説家)に
よる紹介文から抜粋:
上岡陽江はダルク女性ハウスという薬物・アルコール依存症者を
支援する施設の代表者。社会が標準とする生き方の外にまず
出ること。子ども時代に家族が助けにならず友達もいなかった
人は 人と関係を持つことが できない。それで孤独の中で事件を
起こし何年も刑務所に入る。そういう人に上岡さんは「あなたは
刑務官と関わりが持てたのだ」(その時間がきっとあなたを成長
させた)と言う。標準とか基準とか そんなものはない、すべて人は
人生を「こうあるべきだ」「こうありたい」でなく手近な ありあわせの
ものを 寄せ集めて つないでいく、人生の像を そう転換するところ
から 自由も権力との闘いも起こる。

  


Posted by 伝兵衛 at 13:24Comments(0)薬物依存症回復支援

2016年06月11日

アルコール依存症でホームレスの人(7 最終回)

解毒病院で付けていた腕輪を 長い間もっていた。それを見るたびに 
元いたところを思い出す。完治することはない。しかし もう3年半 
飲んでいない。そのことは 自慢できると思う。
今は一人でワンルームに住んでいる。生活保護を受けている。以前
 瓶を集める仕事をしていた地区で 今は旅行者を案内する仕事を
している。ベルリンでホームレスとして生きるのは どういうものかを 
人々は知りたいのだ。
ガイドとして語るのは 楽しい。酒を飲んでいたときには できなかった
が、今は人々の方へ向かっていくこともできるし、人々の言うことを
聞くことも できる。
週に一度 自助グループで司会している。人が役所へ行く勇気が
ない場合にも人を手助けしている。私は彼らに言う:「なにも恥じる
ことはない。自分のために することだ」。
2年前にやっと またカノジョができた。彼女はスーパーで売り子を
していて、私が何を買うかを いつも知っていた。そのうちに 酒を
買わなくなったことに彼女は気づいた。それで 私をコーヒーに
誘ってくれた。(おしまい)
下記サイトから:
http://www.zeit.de/gesellschaft/zeitgeschehen/2015-11/obdachloser-alkoholiker-therapie/seite-2

  


Posted by 伝兵衛 at 20:48Comments(0)アルコール依存

2016年06月09日

アルコール依存症でホームレスの人(6

自分の意思で解毒治療に入った人は腕輪をしている。強制的に
入れられた人は腕輪がない。私は解毒治療所で提供される治療は
すべて受けた。ベルリンに戻って自助グループを探した。そして
治療所も見つけた。
グループのうちの一人が再発して、飲んだとき、私は どこに自分の
つまづく石があるのかと考えた。今まで つまづくことは避けてきた。
路上生活から ここへ連れてきてくれた友達が死んだときも、
つまづかなかった。つまづきそうには なった。友達の葬式の後、
みんなで彼の行っていた居酒屋に集った。酒場の女主人は
私の前に火酒とビールを置いた。私は「水の方がいい」と言った。
彼女は私を見つめて「酒は止めた などと言わないで」と言った。
誰も何も言わなかった。私は「やった、と思った」。(つづく)
下記サイトから:
http://www.zeit.de/gesellschaft/zeitgeschehen/2015-11/obdachloser-alkoholiker-therapie/seite-2

写真提供:SACHIさん  


Posted by 伝兵衛 at 16:27Comments(0)アルコール依存

2016年06月08日

野長瀬晩花の掛け軸

紀国堂さんに 南紀の帆掛け舟を描いた掛け軸が 出ています。
値段は付いていませんでした。保存状態は良いです。
早くいかないと売れそうです。

以下は次のサイトから:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160607-00000065-minkei-l30
和歌山市の築港郵便局近くの喫茶店「水茶都(みさと)」2階に
2016年5月1日、古書店「古書肆(しょし)紀国堂」(和歌山市築港、
TEL 073-499-8039)がオープンした。(和歌山経済新聞)
貴重な和歌山の郷土資料を数多く取り揃える

写真提供:lovefreephoto  


Posted by 伝兵衛 at 16:15Comments(0)

2016年06月07日

アルコール依存症でホームレスの人(5

友達に教えてもらって 職業紹介センタへ行くことができた。そこで
ホームレス宿舎を紹介された。しかし一室に三人の薬物依存症者と
一緒に入れられて 耐えられなくなり、冬が過ぎると そこから出た。
酒は その後 やめたことがある。2011年に介助つき住居共同体に
入居した。そこでは入居者は 年に一度 解毒治療に送られる。しかし 
それは役に立たない。数週間したら 全員また飲む。
解毒治療に入ったとき 三人の女性も入院してきた。一人は 救急医の
紹介で、二人は警察からだった。この三人は 酒のために完全に 
やられていた。三人は床の上に吐いた物の中に 横たわっていた。
ここに居るもので ないと思った瞬間だった。(つづく)
下記サイトから:
http://www.zeit.de/gesellschaft/zeitgeschehen/2015-11/obdachloser-alkoholiker-therapie/seite-2

  


Posted by 伝兵衛 at 17:24Comments(0)アルコール依存

2016年06月06日

アルコール依存症でホームレスの人(4

40歳の娘がいる。やっとジイさんになれた。娘とは連絡がある。
娘が生まれたとき母親は19歳、私は18歳だった。旧東ドイツに
いた頃だ。7年後に離婚した。その後 女性と一緒に暮らしたが、
いつも3~4年しか続かなかった。
2009年から2010年にかけての冬は ひどく寒かった。夜通し 
からだを動かしていた。仲間が当時 ホームレスの新聞を売って
いた。彼の自宅で作った新聞だ。彼は私に申し出てくれた。冬の間、
彼の所に来ていいと言ってくれた。その間、彼の作る新聞と広告と
金の面倒を 二人でみるという申し出だった。今も彼に感謝して
いる。ワンルームに物置のついた彼のアパートで 三ヶ月 過ご
させてもらった。
今は何も持っていない。いつもシラフでいるわけでは ない。自分の
意思によって生きていくことは できないと認めなければ ならない。
それは 一番つらい。
(つづく)
下記サイトから:
http://www.zeit.de/gesellschaft/zeitgeschehen/2015-11/obdachloser-alkoholiker-therapie

写真提供:那智勝浦おとん様  


Posted by 伝兵衛 at 20:52Comments(0)アルコール依存

2016年06月05日

ゲイ・プライド・パレードinイスラエル(写真

写真1. 主催者発表によると20万人の参加したテルアビブでの
パレードは1998年以来の歴史で最多のパレードだった。
3. テルアビブ市長は「ゲイ社会は遥々 来たものだ。しかし
行く道は更に遠い」と言うた。
5. 去年 狂信的ユダヤ教徒が エルサレムでの性的少数派
のパレードの参加者にナイフで襲いかかった。刺された
女性は亡くなった。
6. テルアビブは 近東の性的少数派の中心地。
9. 最大の問題は 政府内部の信心深い人々だ。
10. イスラエルでは 1998年から同性愛であることは 
刑法上の罪ではない。
11. テルアビブのパレードを見るために毎年 世界中
から観光客が来る。
15. 虹色の路面。数千人の警官と兵士が警備にあたった。
下記サイトに写真15枚:
http://www.spiegel.de/fotostrecke/israel-gay-pride-parade-in-tel-aviv-fotostrecke-137927.html

  


Posted by 伝兵衛 at 21:25Comments(0)性少数派

2016年06月03日

アルコール依存症でホームレスの人(3

不運なことは他にもあった。長靴をはいた禿た男が ベビーカーを押す
ベトナム女性にからんでいたので 私は割って入った。そばに あと
二人が立っているのに 気が付いて いなかった。彼ら三人は 私を
蹴り倒した。肋骨が折れ、鼻も骨折し、歯が折れた。タクシー運転手が
野球のバットをもって 走ってきてくれた。命の恩人だ。
そのあと私は用心深くなった。広々とした場所や観光客のいる
場所は安全だ。動物園で襲われてから 身分証明書を持たなく
なった。役所へ行くことへの ためらいは大きい。反社会的な人が
私に浮浪者と言ったら、私は自制心を失う。自分では反社会的
だと自覚していない。(つづく)
下記サイトから:
http://www.zeit.de/gesellschaft/zeitgeschehen/2015-11/obdachloser-alkoholiker-therapie

写真提供・asamaさん  


Posted by 伝兵衛 at 17:34Comments(0)路上生活