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伝兵衛
伝兵衛
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2008年01月30日

ルポ虐待里親1~9。1月/16-27朝日新聞連載

★この連載をスキャナーにかけてテキスト化しました。
写真は省いています。

ルポ虐待 第6部
里親 (1)
血がつながっていない だからこそ

朝日新聞 2008年1月16日

 アミさんは、児童相談所の職員に連れられて、タイ
ルの敷き詰められた玄関に立っていた。3年前、庭の
木々の葉が赤に黄に色づき始めたころだった。

 中学生にしても華奢な体つき。うつむき加減で目を
合わそうとしなかったが、 「あら、かわいい子」と
いうのが、「里親」になるこの家の主婦、マリコさん
(59)の第一印象だった。

 家で暮らすのは、マリコさんと夫、やはり里子の小
学生のケンくん。「うちは、だれも血がつながって
いない。だからこそ、家族として仲良くしようね」。
和室で向き合って座ると、マリコさんは言った。

 2ヵ月前、アミさんはタンクトップにパンツ姿で、
児童相談所の前に立ちすくんでいた。カバンも附布も
持たず、自宅から歩きづめできた。勇気を振り絞って
建物の中に入り、職員を見つけると訴えた。
 「ママに虐待されている。助けて」
 幼いころ両親が離婚した。最初に引き取られた父
から暴力を受けた。次に暮らした母からもたたかれ続
け、「反発したら倍やってやる」と脅された。

 こんなにママに嫌われているんだから、いない方が
いいのかな。自殺しようか。しなくても、いつか殺
されるんだろうな。でも、やっぱり死にたくない-
-。児童相談所に駆け込んだのは、心を決めた末のこ
とだった。

 里親のもとで暮らすことを希望した。かつて数年間、
児童養護施設で暮らした経験があったからだ。規則が
多く、子ども同士の人間関係は難しかった。そのとき、
数日間だけ里親に預けられたことがある。両親と一緒
に暮らすことができる「普通の子」に近いと思った。

 2階の6畳間がアミさんの部屋になった。アミさん
が持ってきた荷物は、一時保護所でつくったカレンダ
ーと自分で描いた絵だけだった。着替えもなかった。
空っぽのタンスと布団が置かれた部屋に、マリコさん
が知人からもらった学習机を運んだ。

 マリコさんは前年に、親と暮らすことのできない子
どもを家庭で預かる「養育里親」として自治体に登録
したぱかりだった。子どもに恵まれず、里子として来
た子どもと、いずれ養子縁組できるもしれない、と考
えたことがきっかけだった。けれど、数日から数週
間ずつ、10人近い子どもを預かるうち、家庭を、大人
を必要とする子どもがこんなにも多いと知り、力にな
りたいと思うようになっていた。

 虐待を受けた子どもを長期に預かるのは初めてだっ
た。「仲のいい『家族』の一員になって楽しく過ごせ
ば、傷は癒えるはず」と信じていた。

 一方のアミさんは、母の虐待から逃れてほっとした
気持ちと、新しい生活への不安でいっぱいだった。初
めてもらった自分だけの部屋に座っても、うれしいと
思う余裕はなかった。

 この日の記憶は薄く、マリコさんが出してくれたシ
ョートケ-キが、イチゴがたっぷり入っていて、すご
くおいしかったこと以外はぽやけている。
       (文中仮名)

里親制度: 保護者がいないか、保護者に監護させる
ことが不適当と認められる原則18歳までの子の養育
を、都道府県などが里親に委託する。養育費と里親へ
の手当が支給される。1年以内の期間が決まっている
「短期里親」、被虐待や非行などの問題がある子を育て
る「専門里親」、3親等内の親族を育てる「親族里親」、
そのほかを指す「養育里親」がある。専門里親は、3年以
上の養育里親経験などの要件を潤たし4ヵ月程度の研
修を修了する必要がある。
07年3月末で里親の登録者は7882人、里親のもと
で暮らす子は3424人。
    ◇
  「ルポ虐待」第6部は、里親家庭の様子を紹介しま
す。文は松尾由紀、写真は川村直子が担当します。

 ◆児童虐待をめぐる体験や連載への意見をお寄
せ下さい。〒530・8211朝日新聞大阪本社虐待問
題取材班へ。ファクス (06・6201・3958)、メール
(o-syakai2@asahi.com)。住所、氏名、電話番号を。

ルポ虐待 朝日新聞 2008年1月17日

里親②
逃げたかっただけなのに

 里親のマリコさんの家で暮らし始めた中学生のアミさん
は、すぐに新しい暮らしになじんだかのようだった。やは
り里子の小学生ケン君とじゃれ合って遊ぶ様子に、マリコ
さんは、本当の姉弟みたいと感じもした。

 ところが半月もすると、ため息をつく場面が増えた。
  「話しかけてるのに、なんで無視すんの!」。荒らげる
声に気づき、マリコさんが家事の手を止めて振り返ると、
アミさんがギッとした顔で立っていた。「気づかなかった
のよ、ごめんね」と説明しても、アミさんはにらみ続けて
いた。

 かと思えば、マリコさんが話しかけても無視したり、
 「はあぁ?」 「わからん」と不愉快そうに答えたり。
「食器を取って」 「片づけして」といった小さな頼み事
にも嫌な顔を見せた。かぜで寝込んだマリコさんの枕元に
靴下を 「洗えてない!」と投げつけたこともあった。

 一緒に食卓を囲んで手料理を食べ、その日の出来事を話
す。そうすれば家族になれる、心の傷も癒える、とマリ
コさんは信じていた。なのに・・・。

「家族なんだから、楽しくやろうよ」 「アミがふてくさ
れてたら、みんなも困るよ。家族なのに」。マリコさんは
繰り返した。
 でも、アミさんには、その 「家族」という言葉がしっく
りこなかった。血もつながっていないのに。ほんとの家族
じゃないのに。私は、虐待から逃れたかっただけーー。聞
くたび、心の中で反発していた。
      (文中仮名)

ルポ虐待
朝日新聞 2008年1月18日
 
里親 (3)
深い傷どう接したらいの

 里子のアミさんの反抗ぶりに、マリコさんは自信を失いは
じめていた。
 「私、奥さんにつっかかってばかりいるの」。アミさんがマ
リコさんの知人たちにそう話すのを聞いたときは、心が凍る思
いだった。アミさんの表情は得意げで、言うことなんか聞くも
んかと誇示している気がした。

 わざと反抗しているんだ。どうしてそれを他人に言うのか。
私のメンツをつぶすのか。こんなんだから、親にだってたたか
れるんだ。

 一方で、虐待がアミさんに残里親を手伝い、洗濯物を干す
深い傷どう接したらいいのした深い傷を前に戸惑うことも
多かった。

 ある夜、台所に座っていたマリコさんのそばにアミさんが来
て、ぽつりと言った。.「奥さん。私、だめな子、とかできな
い子、とか否定されること言われるのが一番嫌なんだ」

 もう1人の里子のケン君にマリコさんが「宿題しなさい!」
と大声をあげたとき、隣の部屋にいたアミさんが上着のマード
をさっとかぶり、床にふせたこともあった。
 アミをしかったわけじゃないのに。身を守るように体を丸め
たアミさんは、しばらく□をきかなかった。
 この子とどう接したらいいのか。マリコさんの悩みは深まる
ばかりだった。

 そんなとき、児童相談所から電話がかかった。「『専門里
親』の研修を受けてみませんか。虐待を受けていたアミさん
は本来、『専門里親』『が預かるべきなんです」
 マリコさんは迷うことなく参加を決めた。
         (文中仮名)
ルポ虐待 朝日新聞 2008年1月19日

里親(4)

苦しみ ぶつけてたんだ

 マリコさんは、自治体が実施する専門里親の研修を受け
始めた。専門里親は、虐待された子や非行などの問題を抱
える子を預かる里親で、02年に新設された。研修は、児童
福祉論など8科目の通信講座、児童虐待援助論など4科
目の講義、児童養護施設での実習など約4ヵ月に及ぶ。

 児童相談所の職員は言った。「虐待を受けた子どもさ
んは、そんなことだから虐待されるんだよ、ということを
したり、言ったりするでしょう?」
 マリコさんは思わずうなずいた。
 「違うんです。順序が逆。虐待されたからこそ、そうい
う態度をとってしまうんです」。反抗することで周りの
大人がどこまで自分を受け入れてくれるかを推し量る、
 「試し行動」と呼ばれる心理をマリコさんは知った。

 実習では、虐待を受けた子から、ののしられ、暴力をふ
るわれることがある臨床心理士に会った。「自分が親から
されたのと同じことを、ほかの人にしてしまうんです。そ
んなとき私は、自分は今だけつらい、でも、この子たちは
ずっとこんな思いで生きてきたんだ、と思うようにしてい
ます」
 アミは、耐えてきた苦しみをぶつけていたんだ。私は、
そのつらさをわかってあげられていなかった。

 自分の何が悪いのかと思い詰め、イライラを募らせてい
たマリコさんは、肩の力を抜くことができた。笑顔が増え
ていくのが自分でもわかった。

 4ヵ月間、夜中の台所で教材を読み、リポートを送っ
た。翌年、専門里親に認定された。   
  (文中仮名)

ルポ虐待 朝日新聞 2008年1月23日

里親(5)

素直な心 抱きしめた

 夜のことだ。里親のマリコさんが終い湯からあがり台所で
休んでいると、アミさんがぽつりと言った。
  小さい時にね、冬、パパに裸で外に放り出されたことがあ
ったんだ」
 自分の受けた虐待を□にしたのは初めてだった。「あんたえら
いね。よくがんばったね。強いなぁ」。マリコさんは繰り返した。

 マリコさんは毎朝5時半に起きて弁当を作り、駅まで送って
いた。ある朝、翌年に迫った高校受験の話になった。「アミの
ことを思うと、勉強しなさいという気持ちになるよ」と言うと、
アミさんは「勉強しろって言われると、する気がなくなる」と
途端に不機嫌になり、ホームのベンチに座ってそっぽを
向き続けた。
 6分、7分。マリコさんは心配で、ホームが見える踏切のそ
ぱで見ていた。電車が着く間際、アミさんはぱっと顔を上げ
た。マリコさんの振った手に、小さく振り返した。

 枕を抱えたアミさんが、マリコさんの寝室に入ってきたの
は、一緒に暮らして1年が過ぎた夜だった。

  「なんか心がつらい」と泣き出した。「思春期だから、
大人になっていく途中だからかな」。マリコさんはそう答える
と、アミさんを初めて抱きしめた。それまでは、触られるの
さえ嫌がっていたのに、素直にじっとしていた。
「奥さんの心臓の音が聞こえる」
布団の上で30分ほど抱き続けていると、いつのまにか
アミさんは寝息をたてていた。
     (文中仮名)

ルポ虐待 
朝日新聞 2008年1月24日

里親⑥

「ここにいたい!」初めての言葉  

 アミさんが里親のマリコさんのもとで暮らして1年余
り、年明けには高校受験を控えていた。第1志望の
公立校は合格ラインぎりぎりだった。滑り止めに
私立校も受けることになった。自信をつけてあげたいと、
マリコさんは家庭教師を頼んだ。

 受験のストレスなのか、アミさんの態度が、最初に家に
来たころのように反抗的なことが増えた。ひとこと注意を
すると、「だから何よ」とつっかかってくる。気に入らな
いことがあると、食器をどんと置いたり、取ってと頼んだ
物を投げてよこしたりした。

 「ふてくされてばかりだと迷惑だよ。家族として楽しく
暮らす、最低限のルールは守って」
  「家族、家族ってほんとの家族でもないのに、意味わか
らん」。アミさんはこたつにもぐって泣いた。

 もしかしたら、この家にいるのがいやなのだろうか。そ
れを、態度で示しているのだろうか。
 マリコさんは「児童相談所で聞いてもらいたいことがあ
るなら、連れて行こうか?」とアミさんに聞いてみた。
 「なんでそんなこと言うの」。アミさんは泣きながら
叫んだ。
 「ここにいたいの! でも、奥さんたちに素直になろ
うとしても反対のことばかりしてしまう。わけわからんく
て、頭おかしくなる」

 思いがけない言葉だった。
 「ここにいたいって、初めて聞いたよ。相談所に行こうな
んて言ってごめん」。マリコさんはアミさんを抱きしめて
謝った。   (文中仮名)


ルポ里親
朝日新聞2008年1月25日
 
里親⑦
「ありがとう」伝えてくれた

 里子のアミさんの通う中学校の卒業式に、里親のマリコ
さんはビデオカメラを持って出席した。

 1年半前にアミさんが来た時、マリコさんは1本のビデ
オテープを用意した。タイトルには「アミ」と記した。こ
の子は、これまでの成長の記録を多く残してもらっていな
いかもしれない。この家にいる間だけでも、残してあげた
かった。運動会も合唱会も、カメラを持って出向いた。

 式の受付で、マリコさんはアミさんからの封筒を受け
取った。先生に言われ、卒業生はみな両親にあてて書い
ていた。保護者席で開くと、白い小さな紙に横書きで丸い
字が並んでいた。

  〈あんまり気持ちとかうまく書けないので、個条書き
で書きます。①中学校行くのに支えてくれてありがとう
②おくさん、いつもおいしい弁当ありがとう⑧たくさん
の愛をありがとう④高校行っても色々と迷惑かけると
思うけどよろしくお願いします〉

 一緒に暮らし始めた時には、反発ばかりしていた子
が、感謝を伝えられるようになったことがうれしかった。
涙が止まらなかった。「こんなに泣いているの、保護者席
で私くらい」とマリコさんは恥ずかしかった。

 数日後、2人で第1志望の高校の合格発表を見に行っ
た。「あった! 受かってる!」。アミさんの受験番号が
あるのをいち早く見つけたマリコさんは、大きな歓声をあ
げた。「私が先に見つけたかったのにな」。マリコさんの
横で、アミさんがちょっとすねた。    (文中仮名)


ルポ里親
朝日新聞2008年1月26日

里親⑧
本当はママのこと好きなんだ

  「ママのところに帰ってみてもいい?」。里親のマリコ
さんのもとで暮らすようになって1年半、合格した志望の
高校の入学まであと少しというある日、アミさんは切り出
した。
 突然だったが、マリコさんは驚かなかった。アミさん
は、暴力を振るわれ、ののしられ、「ママに虐待されてい
る」と児童相談所に駆け込んだ。自分から里親の家で暮ら
したいと望み、マリコさんのもとに来た。「ここにいたい
!」と泣いて叫んだのもついこの間のことだ。でもマリコ
さんはずっと感じていた。本当はママのこと、大好きなん
だろうな、と。

 話の端々に「ママはね」と出てきた。一緒に暮らすもう
一人の里子のケン君から「宝くじで1億円当たったらどう
する?」と聞かれると、アミさんは即座に「ママに家を買
ってあげる」と答えていた。

 児童相談所の担当者とマリコさん、アミさんの実の母が
相談した。母は、また手をあげてしまうのではと心配して
いたが、やってみると受け入れた。

 アミさんは週末などに一時帰宅するようになった。マリ
コさんは心配だった。アミさんが戻ってくるたび、それと
なく尋ねた。

  「だらだらしてたらたたかれたけど、一発だけ
だったよ」「別に普通だった」。母は、かつてのように
激高することはなかった。

 春から夏にかけ、帰宅を重ねた。夏が終わるころ、アミ
さんは言った。「ママと一緒に暮らそうと思う。家に帰り
たい」     (文中仮名)

ルポ虐待
朝日新聞 2008年1月27日
 
里親 (9)

 里親のマリコさんは、アミさんとの日々をルーズリーフ
につづっていた。

  <○月○日 私かいない間に制服のスカートを15センチ
くらい短くしていた。指摘したら「スカートくらいで何よ」
と居直られた。
 「自分が一番自分を粗末にしている。よく考えなさい」と怒っ
た。「少しおりこうさんになる」と小さい声で言ってきた。>

 <○月○日 アミが来てすぐのころはモーレツな反発を受け
た。けれど、[いってらっしやい」に返事もしないで、ふてくさ
れて学校へ行く後ろ姿にも「今日も元気で学校行ってくれた。
産んでなくても我が子なの! ありがとう」と思ってた。私、
 その気持ちを忘れてしまっている。慣れかなぁ。疲れかなぁ〉

   <○月○日 アミと口論。[私のこと産んでもないのに
 !」と言うから、「産んでも産 んでなくても、我が子と思った
 ら我が子なの!」と返した〉

   <○月○日 アミにいちいち 細かなことを指摘している気が
 する。ゆったり。大きな心で。 笑顔で。気をつけないと子ども
 たち疲れてしまう〉
   <○月○日 入学式。制服が よく似合っている。近くの席の
 友達とも話ができていた。いよ いよ出発です!〉

 アミさんはテレビの脇にたま たま置かれていた日誌を見てし
まったことがある。悪いかなと 思っても、読むのをやめられな
かった。私のこと、こんなに思ってくれてるんだーー。
 勉強のことも友だちのことも 相談したら、マリコさんはきち
向き合ってくれた。[信頼できる大人」に会ったのは初めてだった。
   (文中仮名)
  ◆次回は30日掲載の予定です。  


Posted by 伝兵衛 at 14:40Comments(0)

2008年01月30日

和歌山市少年センターと子ども支援センター

非行については お城の南にある少年センター(073-425-2351)
へ相談されたら いいです。
不登校については 内川に沿った福町にある子ども支援センター
(073-402-7831)へ。

子どもは うまくいかなくて 鬱状態になると 不登校になり
うまくいかない から 暴れだすと 非行になる ような気がします。
これは シロートの考えです。

うちの子は 警察と 県児童相談所へ 世話になって おりましたが、
万引きで迷惑をかけた スーパーの警備の責任者さんが 
「それほど 困っているなら 一度 少年センターへ 行って
みたらいい」と 言うてくれました。地獄に仏。職務 以上のと
言うか 言わなくても いいことを わざわざ 教えてくれて
感謝しています。
  


Posted by 伝兵衛 at 07:21Comments(0)

2008年01月27日

「児童自立支援ホーム」@和歌山市

児童養護施設を出たばかりの人や 家にいられない青少年が 
定職を見つけるまでの 短い期間 住み込みで入所し、そこから
働きに出かけて、お金をすこし 貯めてという
寮のような ホームが 和歌山市内に 4月にできるという
噂です。民営。公的補助は 今のところない。定員6人くらい。
うわさ なので はっきりした事は 分かりません。
4月に はっきり したことを お伝えできます。
  


Posted by 伝兵衛 at 09:16Comments(0)

2008年01月24日

住み込み就労で変貌遂げる/井垣 康弘

君たちのために
      産経新聞 2008年1月23日 夕刊から抜粋

田舎の16歳の男子。母親は病死し、父親は今刑務所。

 中学生のとき、この子だけ児童自立支援施設へ入れられた。
しかし、努力して成果を上げ、中卒時 田舎に帰り、定時制高校
へ進んだ。間もなく中退したものの、アルバイトを見つけ
一応働いてはいた。

 今回家裁へ送られてきた事件は他愛のないものであった。
消防士3人相手に大暴れした際、先輩の肩を持ったため、
公務執行妨害の共犯で逮捕されてしまった。

 少年鑑別所は保護観察相当の意見だが、
 調査官は「保護者不在の16歳で、いずれ住み込み
就労で自立を図るべきだが、今回勤労経験をさせて
その準備をさせたい。身柄付き補導委託の試験観察が
相当」との意見で、法律扶助の 付添人弁護士もこの措
置に大賛成。家庭裁判 所の補導委託先である
水産加工業の経営者 (淡路島)に委託した。

 みんなにかわいがられた。

 試験観察の成績が大変良く、地元に帰ってのアルバイト
先(宅配便の助手)も決まっており、保護観察の援助も
不要と思われたので、調査官(4回も島の委託先を
訪問して面接している)の処遇意見どおり、「不処
分」の決定をした。
 被害者対応は付添人弁護士にお任せしたが、消防署にあてて
少年に丁寧な手紙を書かせ、弁護士が添え書きを付けてお送り
したとのことだった。
          (弁護士)  


Posted by 伝兵衛 at 13:58Comments(1)

2008年01月18日

荒れる学校でボクシング 柔術 太極拳を教える@ドイツ

攻撃的な生徒を どうやって抑止するか。
彼らにどうやって 規則を習得させるか。
四つの小学校・上級学校は生徒の暴力に対応する方法を
見つけた。
1.寛大さをなくす。加害者を即時 退学させる。
2.喧嘩の仲裁者を育てる。
3.ボクシングをさせる。
4.柔術・太極拳をさせる。(なぜか 柔道でなく、柔術)。

ハンブルク、Baden-Wuertenberg, Nordrhaein-
Westfahlenの教育困難校が どうやって 暴力を
克服したかについて:

1. ハンブルクの小学校兼上級学校(小学校に続く義務教育
後期課程の一つで卒業後直ちに就職する者を対象とする)
で 生徒は男女ともに ボクシングを習う。ボクシングで
フェアでない生徒は続かない。
450人の生徒は街で暴力をよく見かけている。
フェアでない暴力をボクシングでは使っては いけない。
思春期の子どもは 大人並みの体力を どう扱うかを学び、
他人への敬意をも学ぶ。

2. Bochumの総合学校(上級学校 実科学校 
ギムナージウムをまとめたもの)の約1300人の生徒に 
「ゼロ寛容」の原則が使われ、生徒間の暴力事件において 
加害者は 即 退学になる。

3. Stuttgartの近くの町でも 生徒同士の暴力は多い。
自己防衛が肉体の自制に役立ち 自己意識を育て 
集中力を強化する。格闘技 特に日本の柔術を練習させ、
生徒に自信を持たせる。
太極拳も導入している。

4. ハンブルクのある荒れた地区、非行・暴力がはびこり 
老朽化した街区に 多くの移住者が住む。こういう地区にこそ 
暴力のない学校 人種統合の学校がなければならない。
この地区で 子どもは日常的に暴力を見ている。ここの
総合学校は 生徒を喧嘩の調停者に育て、今では 
「砂漠の中のオアシス」を言われる学校になった。
生徒の30%は 高校卒業資格に合格する。

下記サイトから:
http://www.spiegel.de/schulspiegel/wissen/0,1518,527178,00.html

別のブログに書いたのを 貼り付けました。
管理人が同じなので 盗作でないです。


  


Posted by 伝兵衛 at 08:39Comments(0)中欧事情

2008年01月17日

「30年目の手紙」が示すこと/井垣 康弘

君たちのために 産経新聞 2008年1月16日 夕刊から抜粋
       
 家裁の部内誌のような「ケース研究」第267号の巻頭言に
「30年目の手紙」との随想が載った。筆者は、当時の最高裁判
所事務総局家庭審議官の坂梨壽弘さんである。面白いので、以
下に紹介する。
       ◇
 ----調査実務から離れて久しく一抹の寂しさを感じていたと
ころ、新任時の家裁からメモが届いた。坊さん風の人が来庁
し、かつて世話になった調査官に会いたいと言ったと記され、
氏名が付記してあった。

 彼は14歳から幾度となく家裁係属を繰り返し家裁の処分を総
なめにした少年であった。小柄で童顔ながら負けん気が強くて
理屈っぽく、言葉尻をつかんではけんかを仕掛け、暴行や傷害
事件を引き起こすのが常であった。再犯事件の調査のたびに、
私にも議論を吹っ掛け、聞き流そうとするとわざと感情を逆な
でして挑発し、まともに対峙(たいじ)しないと納得しなかった。
その揚げ旬、肩で風切る街の一匹おおかみに成長していった。

 私は少年の再犯記録を手にするごとに失敗感と無力感にさい
なまれ、少年にも裁判官にも力不足をひそかにわびた。少年
は、成人間際に来庁し「自分の青春は調査官ととともに
あった」と名残惜しげに言い残して去った。

 それから30年後の再来庁。こちらから電話したところ次の
ような手紙が送られてきた。
 成人後はヤクザとなって頭角を現し、暴力団抗争の矢面に
立った。抗争中、のど元に止めのI刺しを受けたが九死に
一生を得た。服役中、命を救ってくれた医者の「お前に
は、何か仕事をし残してまだ死ねないでいる人の生命力を
感じる」という一言の意味を考えた。

 「いつかはきっと立ち直る」 「非凡さを生かせ」など
の調査官の言葉をも思い起こした。それでも出所後は
暴力団に戻って幹部となり、ナンバー2に上り詰め、
左うちわで過ごせる地位についた。

 45歳でふと、医者や調査官の言葉を思いだし、生きる意味を
求めて僧侶となることを決意し、厳しい修行に打ち込んだ。
3年経って寺を持った。そして、山籍りの長期の寒中修行は
毎年写真入りの新聞記事となっている。この30年間何回も家裁
へのあいさつを思い立ったが、調査官への迷惑を懸念して遠慮
した。今やっと吹っ切れて訪問した。

 彼は、「自分が岐路に立ったとき、調査官のいちずさが道し
るべとなった」と言う。次々に期待を裏切り、私を失意に陥れ
た少年であったが、未熟な調査官であったればこその、少年に
向かう精いっぱいの気持ちだけは確かに受け止められていたこ
とを、30年の時を経て知ることとなった。手紙を読むうち、人
の更生とは何か、家裁での失敗事例とは一体何をいうのか、少
年事件での保護的措置の本当の意味は何なのかなどを考えさせ
られ、長い目で見ることの大切さに気付かされた。

 かつて、少年であったこの僧侶は、「調査官は私の人生の心
の在り力に影響を与えた数少ない人間の一人です」と書いてい
るが、彼もまた、私にとって家裁の仕事が何なのかを教えてく
れる数少ない人間の一人となった----。    (弁護士)  


Posted by 伝兵衛 at 16:04Comments(0)

2008年01月15日

ハンブルクの非行少年Cの生活

★下記は別のブログに書いたのを 貼り付けました。
管理人が同じなので 盗作でないです。

◎ 授業をさぼり、覚醒剤をやったり、橋の下で寝たり、14歳の彼は
色々やってきた。何度も退学処分を受けた。教師も臨床心理士も 
こういう子を どうしたらいいか 悩んだ。

親は離婚している。母と喧嘩して橋の下で3ヶ月過ごした。
皿洗いをしたり、覚醒剤 コカインをやったりした。そのうち 
ついにケルン中央駅で警察に捕まった。
親は子どもに過度の要求をし、教師は途方にくれ、校長も絶望
しているような 子どもは どこに辿りつくのか?

彼は青少年保護センターに入ったが 同年齢の子は未熟に
見えて 付き合いをしなかった。ハンブルクには16の Rebus
という相談所があり、教育とスポーツの役所が運営している。

そこに入る子は 学習に問題のある子、麻薬をする子、鬱の子、
親が暴力を振るう子などである。臨床心理士、社会教育家、
教師が所長の他に 12人いて 1年に500の事例を処理
している。彼のような生徒を普通の学校生活に適応させる
ように努力している。
2-3日で 退所する生徒もいるし、1年半 入所している
生徒もいる。
彼は個人授業をうけた。

本人は小学校のあと 上級学校(5年生から5年間通う学校.
卒業後直ちに就職する者を対象とする)へ行きたかった
のに 親に言われて 進学校ギムナージウムへ入り 1年で 
ついていけなくなった。退学し 総合学校に 入った。しかし 
環境は悪く そこで初めて酒 煙草 マリフアナをやった。
教員室へ鳥脅しの弾を撃ち込んで退学処分を受けた。
別の総合学校に入り 3ヶ月辛抱した。

度々 夜中に窓から出て行き 前の学校の生徒と会った。
売春地区へも行った。母親は長い間 気づかなかった。
そのうちに学校へ行かなくなった。

しかし13-14歳の子は就学義務がある。彼はそれは理解していた。
心を引き締めたいと思えども 行動は変えられなかった。
毎日 マリフアナを吸うのも 止められなかった。朝 おきて 
相談所へ行くのには 自制心が要る。行っても 早退したりした。

今 彼はハンブルク校外にある麻薬依存患者援助施設で 
暮らしていてそこから学校へ通っている。
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/schulspiegel/leben/0,1518,509521,00.html
  


Posted by 伝兵衛 at 08:26Comments(0)中欧事情

2008年01月12日

加害者(少年A)の社会復帰進める8つの提言/井垣康弘 

君たちのために
       産経新聞2008年1月9日 夕刊

手元に、平成10年6月に開催された山口繁・最高裁判所長官
と神戸地家簡裁裁判官全員の 「懇談会」のメモがある。懐か
しい。家裁で少年事件を扱っていた私の持ち時間は5分だっ
た。私は1000字程度のメモを作り、山口長官に差し上げる
とともに、それを席上で読み上げた。

 神戸の少年Aに対する医療少年院送致の審判をしてから8カ
月しかたっておらず、後で知ったことだが、少年Aは「国が死
刑にしてくれないのなら、自殺する自由を与えよ」とゴネて鬱
になっていた時期だ(もっとも6年後、少年Aは世論の殺せの
大合唱を背にしながら、生きろと言い続けてくれた教官たちを
心から尊敬すると言ってくれた)。

 私の発言は、通り魔的犯罪で子どもが殺された遺族に対する
裁判所や社会のあるべき対応について論じている(もちろん少
年Aのケースを念頭に置いているし、聞いている側もそうであ
ったろうが、一応は一般論である)。

 その様な場合の、被害者遺族(一部の遺族と思われるが)の
ニーズとして、次の8つを想定し、それらのニーズに最大限応
じるべきだとして、法的手当て・(法改正)や運用の工夫を
提言した。

 ①わが子がなぜ狙われたのかを含め、被害を受けた
わが子の対応や言動などを知りたい。

 ②加害少年の生育歴、家庭環境、非行に至る背景、
非行の原因・動機などを詳しく知りたい。

 ③殺されたわが子のこと、親の気持ちなどを、少年
やその親に十分語りたい。

 ④以上について、審判の前後に家庭裁判所の裁判官・
調査官とじっくり面談したいし、審判にも全面的に
参加したい。

 ⑤被害に遭った直後から、弁護士・医師・カウン
セラー・ソーシャルワーカー・その他のボランティア
の支援を望む。’

 ⑥少なくとも交通事故死の場合に劣らない補償金
の給付を望む。

 ⑦少年院における処遇の内容と進展を定期的に
知りたい。

 ⑧少年(および保護者)といつでも連絡が取れる
介添え役の存在を望む。

 最高裁長官にこのような提言をした理由は、少年Aの事件を
担当して「そんな悪魔はさっさと殺してしまえ!」という世間
の悪意に弱っていたからである。保護処分は、少年を育て直
して社会適応力を与え、なるべく連やかに社会復帰させること
を目標としている。

 しかし、社会が「その少年は生きる資格なし」と決め付けて
いる場合、社会復帰した少年は、日々その空気を吸いながら
生活することになる。現実には、その社会で元気に生き抜く
ことは無理である。海外へ逃亡させないかぎり、自殺か再犯
か、何らかの事件が起こるだろう。それを防ぐには、被害者遺
族のニーズに全力で応える必要があると思ったのである。
          (弁護士)
  


Posted by 伝兵衛 at 19:51Comments(0)

2008年01月11日

麻薬(マリフアナ)は金がかかる

◎麻薬は金がかかるとは 聞いていたけれど これを読むまでは
いくら くらいかかるか まったく知らなかった。
芸能人なら この程度は 出せるんでしょうね。
1日に5000円も 使っていたら 普通の人は やっていけない。
煙草の10倍かかります。
うちへも 来たことのある 非行グループ指導者は 一昨年 
麻薬で少年院へ入りました。
下記の記事は 別のblogに カキコミしたのを 貼り付けました。
管理人が 同じなので 盗作でないです。

★下記の記事に出てくる大麻と マリフアナ(インド大麻)と
ハシッシュ(インド大麻から作る麻薬)の区別は blog管理人
には 分からない。
この麻薬中毒少年の相談所は ドイツのどの市に
あるのか 書かれていないようです。と言うことはメディアの
発行地 フランクフルトだろうと思う。


非行少年は 授業をさぼるし、もし学校へ来ても授業妨害
をする。それで 成績は悪くなる。
ハシッシュを大量に吸う少年の進級は 攻撃性と酷い成績
のために 難しくなり、学校から戒告処分を受ける虞もある。
大麻中毒の生徒のために 中毒防止を目的に 麻薬局は
資金をだして 2005年にプロジェクトを作った。「中毒生徒の
ケースマネジメント相談」というプロジェクトである。最初は
職業学校に導入され 1年後に他の学校にも取り入れられた。

ハシッシュを大量に吸う生徒の80%は男である。この
プロジェクトで相談を受けた400人の生徒は 16-25歳で 
女の子も多い。臨床心理士の勧めに従って 数ヶ月に渡り、
週に少なくとも1回 相談に来る生徒が多い。学校には
少年相談所の職員がいて、教師と協力して ハシッシュ
中毒患者を相談所へ送る。
たいていの場合 中毒少年は 家庭内に葛藤が多い。
少年が麻薬を買うために金を盗むから 親と子の対立は激しい。
毎日 30ユーロ(4800円)かけてマリフアナ入りの
煙草を吸っていたら 小遣いなど すぐに 無くなる。

大麻を 時々吸う若い人や試しに吸う若い人は ここ数年 
減っている。ハシッシュを吸うのは無害でなく、また 大麻を
吸うのも危険であると いうことを 多くの青少年は認識
するようになった。
一つだけの麻薬を 止めるよりも ハシッシュや大麻を 
まとめて 止めるのは もっと難しい。
下記サイトから:
http://www.faz.net/s/RubFAE83B7DDEFD4F2882ED5B3C15AC43E2/Doc~ED8529C437D854F69AFEE298DC18D900D~ATpl~Ecommon~Scontent.html
  


Posted by 伝兵衛 at 20:42Comments(0)中欧事情

2008年01月05日

猫の駅長・たまが就任1年 客招きの功績で昇進

雑記帳
1月5日18時35分配信 毎日新聞

 ◇和歌山電鉄貴志駅(和歌山県紀の川市)の猫の駅長、
たまが5日、就任1年を迎え、客招きの功績大として
「スーパー駅長」に昇進。平社員から課長職へ出世した。

 ◇同駅前での辞令交付式には300人が集まり、
たまは新調した駅帽をかぶり出席。同電鉄の小嶋光信社長
からSの字が入った新メダルや、好物のカニかまぼこが贈られた。

 ◇同社によると「たま効果」で売上は7%増。駅舎内に正式に
「駅長室」も作る。小嶋社長はネズミのおもちゃもプレゼント。
「今年は子年。お客さんもしっかりつかまえて」【最上聡】

★親の会例会の帰りは 貴志駅から乗って帰ってきます。
その時 いつも タマに会えます。
  


Posted by 伝兵衛 at 20:07Comments(0)