2010年05月28日
女性ホームレスinハンブルク
アンゲーリカは もう3年路上生活している。金の要る
ときはホームレス支援雑誌 Hinz&Kunzt の立売を
1年前から している。彼女は大学生に見えるが
そうでない。
これを売るホームレスはハンブルクに約百人いる。
ハンブルクに25歳未満のホームレスは130人いる。
雑誌は1冊 80セントで仕入れ、1.70ユーロで売る。
儲けは90セント。
25歳未満で失業保険(生活保護)をうけるには 親が
書面で その子と あまり接触がないという説明を
しなければ ならない。
彼女は 半年、母の家にいたこともあるが、窮屈なので
やめた。
彼女は薬物をしているか どうかに ついて
答えたくない。
3年前に セバスティアン(23歳)と一緒に 路上
生活を始めた。彼も雑誌の売り子だ。彼はメタドン
(鎮痛剤。ヘロイン中毒治療薬)を飲んでいる。
外来で治療を受けている。彼は16歳で家出し、10年生
のときに退学した。薬物をして、盗み、刑務所に
入った。彼は注意欠陥障害を患っている。二人は
3年前にネットで知り合った。
アンゲーリカは卸売業で見習いをしていたが 辞めて
一人でニュージーランドに旅にでた。宿の掃除を
すれば 無料で泊まれた。
ドイツに戻って セバスティアンと知り合った。
彼女はハンブルクのある橋の下に 細々とした物を
置いている。そこに置いても 盗まれない。ホーム
レスの生活に慣れた。しかしニュージーランドでの
生活と 橋の下で寝袋で寝るのは違う。零下10度の
冬は辛い。しかし「役所に頼るのは 最悪だ」と彼女は
言う。だから 金の要るときは 雑誌を売る。大金は
要らない。ボロい服と音楽に使う金が あればいい。
二人の夢は 庭のある家に住んで、生産的な人たちと
付き合うことだ。それを 始めるのは難しい。大学に
いって、勉強したいと 彼女は言う。
路上生活をやめたいというのが 二人の希望だが、
心配なことが多くて そこまでの準備は できていない。
下記サイトから:
http://jetzt.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/503776
★別のブログにカキコミしたのを貼付けました。
管理人が同じなので パクリでないです。
ときはホームレス支援雑誌 Hinz&Kunzt の立売を
1年前から している。彼女は大学生に見えるが
そうでない。
これを売るホームレスはハンブルクに約百人いる。
ハンブルクに25歳未満のホームレスは130人いる。
雑誌は1冊 80セントで仕入れ、1.70ユーロで売る。
儲けは90セント。
25歳未満で失業保険(生活保護)をうけるには 親が
書面で その子と あまり接触がないという説明を
しなければ ならない。
彼女は 半年、母の家にいたこともあるが、窮屈なので
やめた。
彼女は薬物をしているか どうかに ついて
答えたくない。
3年前に セバスティアン(23歳)と一緒に 路上
生活を始めた。彼も雑誌の売り子だ。彼はメタドン
(鎮痛剤。ヘロイン中毒治療薬)を飲んでいる。
外来で治療を受けている。彼は16歳で家出し、10年生
のときに退学した。薬物をして、盗み、刑務所に
入った。彼は注意欠陥障害を患っている。二人は
3年前にネットで知り合った。
アンゲーリカは卸売業で見習いをしていたが 辞めて
一人でニュージーランドに旅にでた。宿の掃除を
すれば 無料で泊まれた。
ドイツに戻って セバスティアンと知り合った。
彼女はハンブルクのある橋の下に 細々とした物を
置いている。そこに置いても 盗まれない。ホーム
レスの生活に慣れた。しかしニュージーランドでの
生活と 橋の下で寝袋で寝るのは違う。零下10度の
冬は辛い。しかし「役所に頼るのは 最悪だ」と彼女は
言う。だから 金の要るときは 雑誌を売る。大金は
要らない。ボロい服と音楽に使う金が あればいい。
二人の夢は 庭のある家に住んで、生産的な人たちと
付き合うことだ。それを 始めるのは難しい。大学に
いって、勉強したいと 彼女は言う。
路上生活をやめたいというのが 二人の希望だが、
心配なことが多くて そこまでの準備は できていない。
下記サイトから:
http://jetzt.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/503776
★別のブログにカキコミしたのを貼付けました。
管理人が同じなので パクリでないです。
2010年05月25日
ダルクに通う依存症者は酒饅頭も禁止
近県のダルクさんから 相当の人数が近いうちに
遊びにきてくれます。
私は当日、ちょっと離れた所にいるので 前日に何か
食べるものを 差し入れしようと思い 伺いをたてました
ところ 酒の入ってる饅頭を食べたら 飲みたくなり
また薬物をしてしまう危険があるので 酒饅頭は
やめてほしいと 言う話しでした。
遊びにきてくれます。
私は当日、ちょっと離れた所にいるので 前日に何か
食べるものを 差し入れしようと思い 伺いをたてました
ところ 酒の入ってる饅頭を食べたら 飲みたくなり
また薬物をしてしまう危険があるので 酒饅頭は
やめてほしいと 言う話しでした。
2010年05月21日
エイズ行動委員会(AAC)
下記サイトは 産経新聞論説委員 宮田一雄さんの 記事です。
アメリカ・ボストンにある全米第三の規模をもつエイズ対策団体。
http://sankei.jp.msn.com/life/body/100521/bdy1005210726000-n1.htm
「ボストンの一流レストランが毎週、おいしい料理を寄付する。
みんなで楽しく食卓を囲むことで生きる力がわいてくる」
「エイズの流行を人類が認識するようになったのは1981年の
ことだ。それから約10年を経て、米国の大都市内部の
ゲイコミュニティーでは、エイズの病原体であるHIV
(ヒト免疫不全ウイルス)に感染した人たちが次々に発症し
亡くなっていった」
アメリカ・ボストンにある全米第三の規模をもつエイズ対策団体。
http://sankei.jp.msn.com/life/body/100521/bdy1005210726000-n1.htm
「ボストンの一流レストランが毎週、おいしい料理を寄付する。
みんなで楽しく食卓を囲むことで生きる力がわいてくる」
「エイズの流行を人類が認識するようになったのは1981年の
ことだ。それから約10年を経て、米国の大都市内部の
ゲイコミュニティーでは、エイズの病原体であるHIV
(ヒト免疫不全ウイルス)に感染した人たちが次々に発症し
亡くなっていった」
Posted by 伝兵衛 at
17:20
│Comments(0)
2010年05月14日
ドイツの社会事業家に子ども達が質問する
Dietmar Hoppは欧州最大のソフトウェア製造会社SAPの
創業者。そして児童、青少年のために数百万ユーロを
投資している。
この御方が70歳になった日に 彼の「実社会への
ホイッスッル」協会から支援をうけている5人の
子どもがインタビューした:
マリオ(17歳): 人はどうやったら善人になるの
でしょうか。
ホップ:間違った道に入った人の多くは 不運でも
あった。そういう人は ちゃんと発達していくのを
妨げる 生活環境に生まれた。人は人を手伝うことを
通して善人になる。
ヨシュア(11歳): 人を手伝う気持ちをもつことは
なぜ大事ですか。
ホップ:そういう気持ちは社会を支える柱のような
ものだ。利己主義だけでは 社会は成り立たない。人を
手伝おうという気持ちは 社会を平等にする、調整する。
経済的に恵まれない人も 社会を共に分かち合うことが
できないといけない。
リア(13歳):どうやって お金持ちになったのですか。
ホップ:運がよかった。いい時に いいパートナーと
一緒に いい考えを実行に移すことができた。ソフト
ウェアは昔、まったく新しい分野だった。
ロイ(14歳):大金持ちになると 幸せになりますか。
ホップ:まぁ不幸にも ならないだろう。人々のうちの
半分くらいは どうやって生活をしていこうかと
心配しなければ ならないのも 確かなので 金の
心配のないことは 有り難いと思う。
セヴダ(10歳)友達は多いですか。
ホップ:私がうまく いっているから 人は近づいて
くるのだと 思う人もいるけれど、この歳になっても
少年の頃や 大学の頃の友達が まだいる。
ヨシュア:子どもの頃、誰を手本にしていましたか。
ホップ:10代では Fritz Walterというサッカー選手
だった。今は この世を良くしようと思っている
人達を手本にしたい。
マリス:「実社会へのホイッスル」協会は ホップ
さんがサッカーファンだから そういう名前に
したのですか。
ホップ:協会は 私の財団の青少年活動を調整する
公益法人です。子どもを スポーツの面でも 学校の
勉強の面でも 支援しています。そして 社会で生きて
いける能力を獲得し、職業に入る準備ができるように
しています。
立場の違う子ども達を統合し、受け入れる社会にする
ことも大事です。移民してきた人の子どもや 社会的に
困難な立場の子ども、車椅子の子どもも支援しています。
ロイ:子どもを支援することに なぜ喜びを
感じるのですか。
ホップ:子どもは 私達の未来です。青少年を支援して
将来の見通しを与えることが 私にとって重要です。
薬物依存、アルコール依存など 色々な病的依存があり、
多くの危険が待ち構えています。だから そういう
危険な状態に入り込まないように 別の選択肢を
提供するプログラムが ホントに大事です。
下記サイトから:
http://www.bild.de/BILD/politik/wirtschaft/2010/04/26/dietmar-hopp-sap/fuenf-kinder-fragen-deutschlands-wichtigsten-goenner.html
★別のブログのカキコミを貼付けました。管理人が同じ
なのでパクリでは ないです。
創業者。そして児童、青少年のために数百万ユーロを
投資している。
この御方が70歳になった日に 彼の「実社会への
ホイッスッル」協会から支援をうけている5人の
子どもがインタビューした:
マリオ(17歳): 人はどうやったら善人になるの
でしょうか。
ホップ:間違った道に入った人の多くは 不運でも
あった。そういう人は ちゃんと発達していくのを
妨げる 生活環境に生まれた。人は人を手伝うことを
通して善人になる。
ヨシュア(11歳): 人を手伝う気持ちをもつことは
なぜ大事ですか。
ホップ:そういう気持ちは社会を支える柱のような
ものだ。利己主義だけでは 社会は成り立たない。人を
手伝おうという気持ちは 社会を平等にする、調整する。
経済的に恵まれない人も 社会を共に分かち合うことが
できないといけない。
リア(13歳):どうやって お金持ちになったのですか。
ホップ:運がよかった。いい時に いいパートナーと
一緒に いい考えを実行に移すことができた。ソフト
ウェアは昔、まったく新しい分野だった。
ロイ(14歳):大金持ちになると 幸せになりますか。
ホップ:まぁ不幸にも ならないだろう。人々のうちの
半分くらいは どうやって生活をしていこうかと
心配しなければ ならないのも 確かなので 金の
心配のないことは 有り難いと思う。
セヴダ(10歳)友達は多いですか。
ホップ:私がうまく いっているから 人は近づいて
くるのだと 思う人もいるけれど、この歳になっても
少年の頃や 大学の頃の友達が まだいる。
ヨシュア:子どもの頃、誰を手本にしていましたか。
ホップ:10代では Fritz Walterというサッカー選手
だった。今は この世を良くしようと思っている
人達を手本にしたい。
マリス:「実社会へのホイッスル」協会は ホップ
さんがサッカーファンだから そういう名前に
したのですか。
ホップ:協会は 私の財団の青少年活動を調整する
公益法人です。子どもを スポーツの面でも 学校の
勉強の面でも 支援しています。そして 社会で生きて
いける能力を獲得し、職業に入る準備ができるように
しています。
立場の違う子ども達を統合し、受け入れる社会にする
ことも大事です。移民してきた人の子どもや 社会的に
困難な立場の子ども、車椅子の子どもも支援しています。
ロイ:子どもを支援することに なぜ喜びを
感じるのですか。
ホップ:子どもは 私達の未来です。青少年を支援して
将来の見通しを与えることが 私にとって重要です。
薬物依存、アルコール依存など 色々な病的依存があり、
多くの危険が待ち構えています。だから そういう
危険な状態に入り込まないように 別の選択肢を
提供するプログラムが ホントに大事です。
下記サイトから:
http://www.bild.de/BILD/politik/wirtschaft/2010/04/26/dietmar-hopp-sap/fuenf-kinder-fragen-deutschlands-wichtigsten-goenner.html
★別のブログのカキコミを貼付けました。管理人が同じ
なのでパクリでは ないです。
Posted by 伝兵衛 at
08:17
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2010年05月11日
薬物乱用防止に向けた家庭教育・山本智也
現代のエスプリ 2010年5月号 p.183~196.
から抜粋。本文は 買って読んでください。
やまもと ともや 京都ノートルダム女子大学
生活福祉文化学部教授
「薬物(ドラッグ)はなくなりはしない。」
これは、ワイルとローセン による『チョコレートから
ヘロインまで』の冒頭の言葉である。
そして、この言葉に続き、「社会から薬物を除去しよう
とのあらゆる努力も失敗するのがおちである」と述べてい
る。では、どうすればよいのだろうか。それは、薬物との
間の絆よりも、日々の生活の中での対人関係や地域コミユ
ーニティとの間の絆をなお一層強いものにしていくことであ
ろう。このように考えて、本稿では、薬物乱用防止に向け
た家庭教育とは、保護者が子どもの社会的絆を強化していく
ための働きかけであるとしたのである。その上で、こうした
家庭教育を支援するために、保護者同士が対話的な関係を
構築していくこと、対話的な関係の構築を中心に据えた
プログラムを考えるヒントを提示した上で、ファシリテーター
としての支後者養成という課題を明らかにしてきた。
〔引用・参考文献〕 ・
(1) Freire,P. 小沢有作ほか訳 『被抑圧者の教育学」
亜紀書房 1979.
(2) 日高幸男編 『現代家庭教育概論(第二版)』
同文書院 1985
(3)Hirschi, T. 森田洋司、清水新二監訳 「非行の原因---家庭・
学校・社会へのつながりを求めて-」 文化書房博文社 1995
(4) 警察庁 「警察白書 平成十一年版』 大蔵省印刷局 1999
(5) 麻薬・覚せい剤乱用防止センター 『薬物乱用は「ダメ。
ゼッタイ。」 子どもたちを薬物乱用から守るために 保護者
用読本』
(6) 水谷 修 『薬物乱用防止教育 その実際と、あるべき
姿』 東山書房 2005
(7) 尾形由起子、山下清香、松浦賢長 「児童生徒と保護者
の薬物認識状況と薬物乱用防止教育のあり方」 福岡県立
大学看護学研究紀要 第五巻二号 97~106頁 2008
(8)Weil,A.& Rosen,W. ハミルトン・遙子訳
「チョコレートからヘロインまで」 第三書館 1986
から抜粋。本文は 買って読んでください。
やまもと ともや 京都ノートルダム女子大学
生活福祉文化学部教授
「薬物(ドラッグ)はなくなりはしない。」
これは、ワイルとローセン による『チョコレートから
ヘロインまで』の冒頭の言葉である。
そして、この言葉に続き、「社会から薬物を除去しよう
とのあらゆる努力も失敗するのがおちである」と述べてい
る。では、どうすればよいのだろうか。それは、薬物との
間の絆よりも、日々の生活の中での対人関係や地域コミユ
ーニティとの間の絆をなお一層強いものにしていくことであ
ろう。このように考えて、本稿では、薬物乱用防止に向け
た家庭教育とは、保護者が子どもの社会的絆を強化していく
ための働きかけであるとしたのである。その上で、こうした
家庭教育を支援するために、保護者同士が対話的な関係を
構築していくこと、対話的な関係の構築を中心に据えた
プログラムを考えるヒントを提示した上で、ファシリテーター
としての支後者養成という課題を明らかにしてきた。
〔引用・参考文献〕 ・
(1) Freire,P. 小沢有作ほか訳 『被抑圧者の教育学」
亜紀書房 1979.
(2) 日高幸男編 『現代家庭教育概論(第二版)』
同文書院 1985
(3)Hirschi, T. 森田洋司、清水新二監訳 「非行の原因---家庭・
学校・社会へのつながりを求めて-」 文化書房博文社 1995
(4) 警察庁 「警察白書 平成十一年版』 大蔵省印刷局 1999
(5) 麻薬・覚せい剤乱用防止センター 『薬物乱用は「ダメ。
ゼッタイ。」 子どもたちを薬物乱用から守るために 保護者
用読本』
(6) 水谷 修 『薬物乱用防止教育 その実際と、あるべき
姿』 東山書房 2005
(7) 尾形由起子、山下清香、松浦賢長 「児童生徒と保護者
の薬物認識状況と薬物乱用防止教育のあり方」 福岡県立
大学看護学研究紀要 第五巻二号 97~106頁 2008
(8)Weil,A.& Rosen,W. ハミルトン・遙子訳
「チョコレートからヘロインまで」 第三書館 1986
2010年05月09日
薬物乱用の心理とその背景・村尾泰弘
村尾泰弘 (立正大学社会福祉学部教授)
「現代のエスプリ」2010年5月号、若者と薬物乱用 p5~21.
から抜粋。記事は買って読んでください。
筆者はかつて家庭裁判所調査官として少年非行に
かかわってきた。
◎薬物非行の特徴-薬物非行と性非行(女子)の共通点
とりわけ薬物非行と女子の性非行には共通点がある。
一つめは窃盗や暴力非行などのいわば一般的な非行
とは無縁の少年少女たちが陥る危険性があるということだ。
非行などがあまり起きない有名進学校に通うような
子どもたちでも薬物に手を出したり、援助交際などの
性非行に手を染めたりすることがある。
二つめは、罪悪感を持ちにくいという点である。
それには理由がある。窃盗や傷害には被害者が存在する。
しかし、薬物非行や援助交際などの女子の性非行には
被害者は存在するだろうか。あえていえば被害者は
自分自身である。そのため罪悪感が起きにくい。
「自分の体がどうなろうと、あなたの知ったことじゃない」
などと開き直る場合が多いのである。これらの非行は
「被害者なき犯罪」「被害者なき非行」などと呼ばれる
所以である。ここに薬物乱用の最大の落とし穴がある,
◎有機溶剤乱用事件(A子、17歳)
心理テストなどをしてA子の内面に関わっていくと、
この少女は変化し始めた。
実はこの子の本当の性格は、勝ち気で支配的な、母親
そっくりの性格だったのである。そして、シンナーを
使うと、そのような押さえつけられている本当の自分が
出てくるのである。それはA子にとって非常に強い快感
なのである。この子にとってみれば、シンナーは
母親の束縛から解放してくれるものだったのだろう。
だから、気持ちがよいのである。
シンナーはもちろん有害であり、絶対に使用しては
いけないことはいうまでもない。しかし、シンナーには
このように自分の抑圧している部分、押し殺している
部分を引き出すような作用もある。だから気持ちが良いのだ。
筆者は薬物の快感を便宜的に、身体的快感と心理的快感に
分けて考えている。薬物だから当献身体に働きかけて
快感を起こさせる作用がある。しかし、それだけではなく、
このような心理的な補償作用としての快感もある。
薬物を使用している時に出現する言動や症状というものを
見ると、その人のこころの様子がよくわかることが
理解できるだろう。薬物にはまさに心を映す鏡の
ような作用もあるのだ。
筆者は、便宜的に薬物には身体的な快感と心理的な
快感があると考えると述べた。このような子どもたちへの
指導には、この二つの観点から手当てが必要であると考える。
ちなみにA子に対しては、身体的快感に対する手当てと
して、シンナーをやめさせる指導や生活リズムを
安定させる指導を行い、心理的な快感に対する指導と
しては、押し殺している自分を回復させるような
カウンセリングを同時に行うことになったのである。
◎なぜシンナーをやめないのか
再犯をしてきた少年にその気持ちをこまやかに聞いたりして、
自分なりにその「なぜ」について整理してみた。
ーつめはシンナー少年たちには「人に迷惑をかけていない」
という考えがあるということである。
二つめは、我々、指導者側がシンナー遊びをしたことがない
ということに関係している。かれらには「シンナーのことは
あんたよりも俺たちの方がよく知っている」という強い自負心が
あるのだ。「あんたはシンナーなんか吸ったことないだろ。
俺たちは毎日吸ってるんだ。だから、あんたなんかより、
俺たちの方がよく知っているんだ。お説教はたくさんだ」
こういう論理になるらしい。我々の訓戒や説諭は糠に釘で
ある。実際にはかれらは本当の意味では薬物のことをよく
知らないのである。ごくわずかな一部のことをよく
知っているだけなのだが。
さて、実際にシンナー講習を受けたのに、再びシンナーで
捕まってくる少年たちの言い分には、次のようなものがある。
「あの映画を見てたしかにシンナーが体に悪いと言うことは
よく分かった。だけど、あれはあれ、自分たちは違うと思っていた」
かれらはシンナーが体に非常に悪いものだということは
分かったというのだ。これはおそらく嘘ではないだろう。
しかし、かれらはお互いに支え合うのである。
「あの先輩なんて毎日吸ってるのに、大丈夫みたいだ」
「おまえは大丈夫か」「ああ大丈夫だ」「どってことないね」
「そうそう」 こんなふうにして、お互いを支え合ってしまう
のである。これが三つめである。
最後は何かというと、これは非常に深刻である。
「あの映画を見て怖くて怖くて仕方がなくなった。それで、
その怖さをまぎらわせるために、また吸ってしまった」
これがいわゆる中毒の世界なのである。
このような薬物乱用が非常に進んだ少年に安易に恐怖感を
増大させると、それが引き金になって吸引を促進する場合がある。
つまり、誰に対しても怖がらせればよいというものでは
ないのである。
薬物依存の程度、傾向などを考慮しながら対応する必要がある。
やっかいなものである。
〔参考文献〕
・村尾泰弘編 「非行臨床の理論と実際」 現代のエスプリ461 至文堂 2005
・村尾泰弘編著 「Q&A少年非行を知るための基礎知識」 明石書店 2008
「現代のエスプリ」2010年5月号、若者と薬物乱用 p5~21.
から抜粋。記事は買って読んでください。
筆者はかつて家庭裁判所調査官として少年非行に
かかわってきた。
◎薬物非行の特徴-薬物非行と性非行(女子)の共通点
とりわけ薬物非行と女子の性非行には共通点がある。
一つめは窃盗や暴力非行などのいわば一般的な非行
とは無縁の少年少女たちが陥る危険性があるということだ。
非行などがあまり起きない有名進学校に通うような
子どもたちでも薬物に手を出したり、援助交際などの
性非行に手を染めたりすることがある。
二つめは、罪悪感を持ちにくいという点である。
それには理由がある。窃盗や傷害には被害者が存在する。
しかし、薬物非行や援助交際などの女子の性非行には
被害者は存在するだろうか。あえていえば被害者は
自分自身である。そのため罪悪感が起きにくい。
「自分の体がどうなろうと、あなたの知ったことじゃない」
などと開き直る場合が多いのである。これらの非行は
「被害者なき犯罪」「被害者なき非行」などと呼ばれる
所以である。ここに薬物乱用の最大の落とし穴がある,
◎有機溶剤乱用事件(A子、17歳)
心理テストなどをしてA子の内面に関わっていくと、
この少女は変化し始めた。
実はこの子の本当の性格は、勝ち気で支配的な、母親
そっくりの性格だったのである。そして、シンナーを
使うと、そのような押さえつけられている本当の自分が
出てくるのである。それはA子にとって非常に強い快感
なのである。この子にとってみれば、シンナーは
母親の束縛から解放してくれるものだったのだろう。
だから、気持ちがよいのである。
シンナーはもちろん有害であり、絶対に使用しては
いけないことはいうまでもない。しかし、シンナーには
このように自分の抑圧している部分、押し殺している
部分を引き出すような作用もある。だから気持ちが良いのだ。
筆者は薬物の快感を便宜的に、身体的快感と心理的快感に
分けて考えている。薬物だから当献身体に働きかけて
快感を起こさせる作用がある。しかし、それだけではなく、
このような心理的な補償作用としての快感もある。
薬物を使用している時に出現する言動や症状というものを
見ると、その人のこころの様子がよくわかることが
理解できるだろう。薬物にはまさに心を映す鏡の
ような作用もあるのだ。
筆者は、便宜的に薬物には身体的な快感と心理的な
快感があると考えると述べた。このような子どもたちへの
指導には、この二つの観点から手当てが必要であると考える。
ちなみにA子に対しては、身体的快感に対する手当てと
して、シンナーをやめさせる指導や生活リズムを
安定させる指導を行い、心理的な快感に対する指導と
しては、押し殺している自分を回復させるような
カウンセリングを同時に行うことになったのである。
◎なぜシンナーをやめないのか
再犯をしてきた少年にその気持ちをこまやかに聞いたりして、
自分なりにその「なぜ」について整理してみた。
ーつめはシンナー少年たちには「人に迷惑をかけていない」
という考えがあるということである。
二つめは、我々、指導者側がシンナー遊びをしたことがない
ということに関係している。かれらには「シンナーのことは
あんたよりも俺たちの方がよく知っている」という強い自負心が
あるのだ。「あんたはシンナーなんか吸ったことないだろ。
俺たちは毎日吸ってるんだ。だから、あんたなんかより、
俺たちの方がよく知っているんだ。お説教はたくさんだ」
こういう論理になるらしい。我々の訓戒や説諭は糠に釘で
ある。実際にはかれらは本当の意味では薬物のことをよく
知らないのである。ごくわずかな一部のことをよく
知っているだけなのだが。
さて、実際にシンナー講習を受けたのに、再びシンナーで
捕まってくる少年たちの言い分には、次のようなものがある。
「あの映画を見てたしかにシンナーが体に悪いと言うことは
よく分かった。だけど、あれはあれ、自分たちは違うと思っていた」
かれらはシンナーが体に非常に悪いものだということは
分かったというのだ。これはおそらく嘘ではないだろう。
しかし、かれらはお互いに支え合うのである。
「あの先輩なんて毎日吸ってるのに、大丈夫みたいだ」
「おまえは大丈夫か」「ああ大丈夫だ」「どってことないね」
「そうそう」 こんなふうにして、お互いを支え合ってしまう
のである。これが三つめである。
最後は何かというと、これは非常に深刻である。
「あの映画を見て怖くて怖くて仕方がなくなった。それで、
その怖さをまぎらわせるために、また吸ってしまった」
これがいわゆる中毒の世界なのである。
このような薬物乱用が非常に進んだ少年に安易に恐怖感を
増大させると、それが引き金になって吸引を促進する場合がある。
つまり、誰に対しても怖がらせればよいというものでは
ないのである。
薬物依存の程度、傾向などを考慮しながら対応する必要がある。
やっかいなものである。
〔参考文献〕
・村尾泰弘編 「非行臨床の理論と実際」 現代のエスプリ461 至文堂 2005
・村尾泰弘編著 「Q&A少年非行を知るための基礎知識」 明石書店 2008
2010年05月05日
薬物依存症からの回復と援助・三浦陽二(沖縄ダルク)
民間リハビリテーション施設での取り組み
--‐薬物依存症からの回復と援助
三浦陽二(沖縄ダルク)
(現代のエスプリ 2010年5月号 p.148~160から 抜粋。
本文は 買って読んでください。ネットで買えます)
◎回復とは
薬物乱用が続くと薬物依存症となる。ダルクは当事者が
運営する薬物依存症からの回復施設である。
薬物依存症からの回復を考えるうえで、まず考えなけれ
ばならないのは「回復とは何か?」という事である。
薬さえ使わなくて良いという事ならば、依存対象(行為、
関係、物質)の切り替えという事が解決策の一つとなる。
本人の改心と環境と薬物の身体依存の三つの問題を一遍に
解決しなければ意味をなさないように思われる。
「薬物依存症者は意志が弱く、意志を強く持てば解決できる」
という考え方がある。私もダルクに繋がるまではそのように思い、
意志を強くする方法を探していたが、滝に打たれる事ぐらい
しか思いつかず、滝に打たれる前からあきらめていた。しかし、
この考え方はダルク創設者、近藤恒夫の一言によって覆された。
近藤は私に「君は意志が強いね」と褒めるともなく言った。それ
までの私は親からも、学校の先生からも、警察官からも意志が弱い
と言われ続けていたので驚いてしまった。
続きがあった。「君は親が泣こうとも、周りから友人があきらめて
離れようとも、精神病院や刑務所に入ろうとも、薬をやめなかった。
並大抵の意志の強さではない。」
この場合、私にとって必要な事は、もともと強い意志をもっと
強くするのではなく、意志の方向を変える事なのだとこの時
気付かされた。
ダルクは薬をやめる、もしくはやめさせる施設だと思われて
いる方が多くいると思うが、少し違う。
ダルクでは「あなたの薬物の使用(依存症)経験を生かし、医師や
関係者には出来ない仲間の手助けをしなさい」と言っている。そして
この仲間の手助けは薬を使用しながらでは出来ないため、自然と
薬がとまるのである。
これは薬物の使用を繰り返したり薬を売っていた時とは
生き方、価値観を変える行動であり、意志の方向を変える
行動である。そして刑務所や精神病院の出入りを繰り返し
自己評価が低下した薬物依存症者の自己評価を向上させる
行為である。そもそも薬物使用は少しずつ自殺しているよ
うなもので(本人は身体に悪いという事はよくわかってい
るのです)、自分が大切で自分の事が好きならば自殺はし
ないのである(例外はあるが)。
薬物使用を続けると失うものがたくさんある。金銭など
の物質的なものもあれば、信用などの社会的なものもあ
る。しかしそれにもまして厄介なものが複数ある。
まず「個人的な成長」である。薬物依存症者は他人が成
長している時に薬物を乱用し、社会との関わりを自分から
放棄していたのだから、成長出来ていない部分が多い。薬
物依存症からの回復とはいうものの、薬を使い始めた中学
生くらいに戻ってしまったのでは困ってしまう。゛
次に「創造性」である。私などはよく覚せい剤使用時の
症状、常動行動で掃除を始めると止まらなくなり、テレビ
なども分解して掃除したりした。そして最後にはテレビを
壊してしまうのである。物質的なもの以外でも人間関係
などもよく壊した。
その次に「人の善意を感じる能力」である。自己中心的
になっていくといった方がわかりやすいかもしれないが、
人が何かやってくれて当り前で、感謝など何事に関しても
出来なくなる。
そして最後に「自由」である。やめる自由が残されていなかった。
捕まってしまう事が怖くて出来なかった、おまわりさんに道を
聞く事が出来た。これも取り戻した自由なのかもしれない。
薬物依存症になると失うもの 四つ「個人的な成長」「創造性」
「人の善意を感じる能力」「自由」これらを取り戻す事も
回復なのではないかと思う。`
次に自分の行ってしまった事をそれで良かったと思える
ことも回復に必要である。刑務所に入った事や精神病院へ入った
事は、今は良かったと思えている。なぜなら その事が
なければ今こうやって原稿を書いている自分は存在しない
からである。このように過去は変えられないかもしれないが、
過去に起こしてしまった事を良かったと思う事は可能なのである。
ダルクのミーティング(グループセラピー)の後、皆で手を
つないで唱える小さな祈り(特定の宗教ではない)が ある。
「平安の祈り」と言われるこの祈りに出てくる「変えられない
ものを受け入れる落ち着き」とある変えられないものとは
過去と他人の事であり、「変えられるものは変えていく勇気を」
とある変えられるものとは自分と未来だと理解している。もっと
いうと、過去の結果としての今は変えられないが(とらえ方は
変えられるが)未来の原因としての今は、変える事が出来るのである。
日本で一番多い依存症は、ワーカホーリック(仕事依存症)
ではないかと思う。厄介なのは、このワーカホーリックと
いうのは日本の社会や世間一般では褒められたりしてしまう事
である.そして 機能不全を起こしてしまうのである。そして
この機能不全家族というのが、薬物依存症の大きな原因となる。
私達依存症者は自分達の息子や娘に世代間の連鎖をさせない
ように考える責任があり、この連鎖を断ち切る事を考えなけ
れば考えたらずの回復となってしまうのではないかと考えている。
◎ミーティング(グループセラピー)
めでたく?ダルクに繋がってから、毎日行うのは、NA
の12ステップを使ったミーティングである。基本的な
ミーティングは「言いっぱなしの聞きっぱなし」である。
このミーティングでは他人の話ではなく、かつての自分と
今の自分についてのみ話をする。「これからがんばってやめ
ます」のような先の話はあまり意味をなさないからである。
このミーティングで求められる事は「正直さ」と「気づき」
である。「この人はこの様にして乗り越えている」とか
「この人はこの様な失敗をしたから私はしないように
しよう」など、サジェッションをもらう事ではなく、ミー
ティングの中で話された仲間の経験を分かち合うのである。
仲間との共通点が聞こえてくるまでに、三ヵ月から
六ヵ月を要する。
退寮する仲間にエールを込めてパイをぶつける。ダルクの
退寮は本人が出たいと思っている時は出さず、社会に出て
一人でやっていけるか不安になり残りたいと思った時に
追い出す
ダルクの良いところは、ダルクにいると一日一回は大笑い
出来るところだと強く思います。
〔みうら・ようじ 沖縄ダルク〕
--‐薬物依存症からの回復と援助
三浦陽二(沖縄ダルク)
(現代のエスプリ 2010年5月号 p.148~160から 抜粋。
本文は 買って読んでください。ネットで買えます)
◎回復とは
薬物乱用が続くと薬物依存症となる。ダルクは当事者が
運営する薬物依存症からの回復施設である。
薬物依存症からの回復を考えるうえで、まず考えなけれ
ばならないのは「回復とは何か?」という事である。
薬さえ使わなくて良いという事ならば、依存対象(行為、
関係、物質)の切り替えという事が解決策の一つとなる。
本人の改心と環境と薬物の身体依存の三つの問題を一遍に
解決しなければ意味をなさないように思われる。
「薬物依存症者は意志が弱く、意志を強く持てば解決できる」
という考え方がある。私もダルクに繋がるまではそのように思い、
意志を強くする方法を探していたが、滝に打たれる事ぐらい
しか思いつかず、滝に打たれる前からあきらめていた。しかし、
この考え方はダルク創設者、近藤恒夫の一言によって覆された。
近藤は私に「君は意志が強いね」と褒めるともなく言った。それ
までの私は親からも、学校の先生からも、警察官からも意志が弱い
と言われ続けていたので驚いてしまった。
続きがあった。「君は親が泣こうとも、周りから友人があきらめて
離れようとも、精神病院や刑務所に入ろうとも、薬をやめなかった。
並大抵の意志の強さではない。」
この場合、私にとって必要な事は、もともと強い意志をもっと
強くするのではなく、意志の方向を変える事なのだとこの時
気付かされた。
ダルクは薬をやめる、もしくはやめさせる施設だと思われて
いる方が多くいると思うが、少し違う。
ダルクでは「あなたの薬物の使用(依存症)経験を生かし、医師や
関係者には出来ない仲間の手助けをしなさい」と言っている。そして
この仲間の手助けは薬を使用しながらでは出来ないため、自然と
薬がとまるのである。
これは薬物の使用を繰り返したり薬を売っていた時とは
生き方、価値観を変える行動であり、意志の方向を変える
行動である。そして刑務所や精神病院の出入りを繰り返し
自己評価が低下した薬物依存症者の自己評価を向上させる
行為である。そもそも薬物使用は少しずつ自殺しているよ
うなもので(本人は身体に悪いという事はよくわかってい
るのです)、自分が大切で自分の事が好きならば自殺はし
ないのである(例外はあるが)。
薬物使用を続けると失うものがたくさんある。金銭など
の物質的なものもあれば、信用などの社会的なものもあ
る。しかしそれにもまして厄介なものが複数ある。
まず「個人的な成長」である。薬物依存症者は他人が成
長している時に薬物を乱用し、社会との関わりを自分から
放棄していたのだから、成長出来ていない部分が多い。薬
物依存症からの回復とはいうものの、薬を使い始めた中学
生くらいに戻ってしまったのでは困ってしまう。゛
次に「創造性」である。私などはよく覚せい剤使用時の
症状、常動行動で掃除を始めると止まらなくなり、テレビ
なども分解して掃除したりした。そして最後にはテレビを
壊してしまうのである。物質的なもの以外でも人間関係
などもよく壊した。
その次に「人の善意を感じる能力」である。自己中心的
になっていくといった方がわかりやすいかもしれないが、
人が何かやってくれて当り前で、感謝など何事に関しても
出来なくなる。
そして最後に「自由」である。やめる自由が残されていなかった。
捕まってしまう事が怖くて出来なかった、おまわりさんに道を
聞く事が出来た。これも取り戻した自由なのかもしれない。
薬物依存症になると失うもの 四つ「個人的な成長」「創造性」
「人の善意を感じる能力」「自由」これらを取り戻す事も
回復なのではないかと思う。`
次に自分の行ってしまった事をそれで良かったと思える
ことも回復に必要である。刑務所に入った事や精神病院へ入った
事は、今は良かったと思えている。なぜなら その事が
なければ今こうやって原稿を書いている自分は存在しない
からである。このように過去は変えられないかもしれないが、
過去に起こしてしまった事を良かったと思う事は可能なのである。
ダルクのミーティング(グループセラピー)の後、皆で手を
つないで唱える小さな祈り(特定の宗教ではない)が ある。
「平安の祈り」と言われるこの祈りに出てくる「変えられない
ものを受け入れる落ち着き」とある変えられないものとは
過去と他人の事であり、「変えられるものは変えていく勇気を」
とある変えられるものとは自分と未来だと理解している。もっと
いうと、過去の結果としての今は変えられないが(とらえ方は
変えられるが)未来の原因としての今は、変える事が出来るのである。
日本で一番多い依存症は、ワーカホーリック(仕事依存症)
ではないかと思う。厄介なのは、このワーカホーリックと
いうのは日本の社会や世間一般では褒められたりしてしまう事
である.そして 機能不全を起こしてしまうのである。そして
この機能不全家族というのが、薬物依存症の大きな原因となる。
私達依存症者は自分達の息子や娘に世代間の連鎖をさせない
ように考える責任があり、この連鎖を断ち切る事を考えなけ
れば考えたらずの回復となってしまうのではないかと考えている。
◎ミーティング(グループセラピー)
めでたく?ダルクに繋がってから、毎日行うのは、NA
の12ステップを使ったミーティングである。基本的な
ミーティングは「言いっぱなしの聞きっぱなし」である。
このミーティングでは他人の話ではなく、かつての自分と
今の自分についてのみ話をする。「これからがんばってやめ
ます」のような先の話はあまり意味をなさないからである。
このミーティングで求められる事は「正直さ」と「気づき」
である。「この人はこの様にして乗り越えている」とか
「この人はこの様な失敗をしたから私はしないように
しよう」など、サジェッションをもらう事ではなく、ミー
ティングの中で話された仲間の経験を分かち合うのである。
仲間との共通点が聞こえてくるまでに、三ヵ月から
六ヵ月を要する。
退寮する仲間にエールを込めてパイをぶつける。ダルクの
退寮は本人が出たいと思っている時は出さず、社会に出て
一人でやっていけるか不安になり残りたいと思った時に
追い出す
ダルクの良いところは、ダルクにいると一日一回は大笑い
出来るところだと強く思います。
〔みうら・ようじ 沖縄ダルク〕
2010年05月04日
タフラブ。子どものしつけ
日本経済新聞 2010年5月4日 「経済教室」のページは 大垣昌夫
慶応大学教授による”子供のしつけー経済学で考える”という記事です。
タフラブというのは 日本語にすると「厳しい愛」?
乳児院・児童養護施設には 厳しさが あるのは確かです。愛は あるのか
どうだか?うちに居た子 二人に尋ねたことはなく 今は二人とも遠くに居て
尋ねることもできない。
記事にでてくる「アラノン」は アルコール依存症者の家族の匿名会。
薬物依存症者の家族の匿名会は ナラノンと言う。
和歌山県の自助グループの寄り合いに AA(アルコール依存症者匿名会)や
断酒会の代表者さんが 来てくれる。数十年、酒にナンギしてきた方々の
お話は迫力がある。
以下 上記の記事の ほんの一部、抜粋。記事は買って読んでください。
★
子供のしつけについて、日本では米国に比べて、甘い場合が多いと
感じることがたびたびあった。
そこで大垣教授は2007年ごろから共同研究者たちと一緒に親による
しつけ行動を描写する「タフ・ラブ’・モデル」と呼ぶ理論モデルの
開発と実証研究を続けてきた。実証研究では大竹文雄大阪大学教授、
亀坂安紀子青山学院大学教授、窪田康平日本大学人口問題研究所ポスト・
ドクトラル・フエロー、チャールズ・ユウジ・ホリオカ大阪大学教授と
ともに、大阪大学による日米のアンケート調査の分析を行っている。
臨床心理士の信田さよ子氏の近刊『タフラブという快刀』によると、
タフ・ラブという言葉は米国のアルコール依存症者の妻たちの自助
グループ「アラノン」が苦しい経験から生み出した知恵として1950年代
に使われるようになったそうだ。夫に説教し、なんとか酒をやめさせよう
とあらゆる策をろうしても、妻たちは夫に酒をやめさせることが
できなかった゜このような経験から自分の力の限界を認め、勇気を
出して厳しく突き放し、ただ見守るタフ・ラブという愛の概念が生まれた。
これは、相手に密着して尽くす家族愛という常識的な概念とは
違っている。アルコール依存などの事例は、極端であり、自分には
関係ないと感じる人も多いであろう。しかし、かえって極端な例から、
間違った常識にとらわれず普遍的な真実が見えてくることがある。
本当の愛とは何だろうか。一般的な家庭の家族関係、特に子供のしつけに
ついて考えるときも、タフ・ラブという概念が手がかりとなるはずである。
慶応大学教授による”子供のしつけー経済学で考える”という記事です。
タフラブというのは 日本語にすると「厳しい愛」?
乳児院・児童養護施設には 厳しさが あるのは確かです。愛は あるのか
どうだか?うちに居た子 二人に尋ねたことはなく 今は二人とも遠くに居て
尋ねることもできない。
記事にでてくる「アラノン」は アルコール依存症者の家族の匿名会。
薬物依存症者の家族の匿名会は ナラノンと言う。
和歌山県の自助グループの寄り合いに AA(アルコール依存症者匿名会)や
断酒会の代表者さんが 来てくれる。数十年、酒にナンギしてきた方々の
お話は迫力がある。
以下 上記の記事の ほんの一部、抜粋。記事は買って読んでください。
★
子供のしつけについて、日本では米国に比べて、甘い場合が多いと
感じることがたびたびあった。
そこで大垣教授は2007年ごろから共同研究者たちと一緒に親による
しつけ行動を描写する「タフ・ラブ’・モデル」と呼ぶ理論モデルの
開発と実証研究を続けてきた。実証研究では大竹文雄大阪大学教授、
亀坂安紀子青山学院大学教授、窪田康平日本大学人口問題研究所ポスト・
ドクトラル・フエロー、チャールズ・ユウジ・ホリオカ大阪大学教授と
ともに、大阪大学による日米のアンケート調査の分析を行っている。
臨床心理士の信田さよ子氏の近刊『タフラブという快刀』によると、
タフ・ラブという言葉は米国のアルコール依存症者の妻たちの自助
グループ「アラノン」が苦しい経験から生み出した知恵として1950年代
に使われるようになったそうだ。夫に説教し、なんとか酒をやめさせよう
とあらゆる策をろうしても、妻たちは夫に酒をやめさせることが
できなかった゜このような経験から自分の力の限界を認め、勇気を
出して厳しく突き放し、ただ見守るタフ・ラブという愛の概念が生まれた。
これは、相手に密着して尽くす家族愛という常識的な概念とは
違っている。アルコール依存などの事例は、極端であり、自分には
関係ないと感じる人も多いであろう。しかし、かえって極端な例から、
間違った常識にとらわれず普遍的な真実が見えてくることがある。
本当の愛とは何だろうか。一般的な家庭の家族関係、特に子供のしつけに
ついて考えるときも、タフ・ラブという概念が手がかりとなるはずである。