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伝兵衛
伝兵衛
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2022年03月20日

ヒ素カレー事件の林マスミさん・長女と孫さん

★朝日新聞 和歌山版 2022年3月17日(木)から抜粋:
和歌山市の鶴崎心桜さん(当時16)が虐待を受けて死亡した事件で、県は16日、当時の学校や児童相談所の対応を検証する委員会を開いた。事件前、中学校は鶴崎さんが虐待を受けている可能性を推測しえる情報を把握していたのに 学校と児童相談所との間で情報共有できていなかったと 鈴木玲 県子ども未来課長は話した。以上 新聞記事からの抜粋おしまい。
★ ヒ素カレー事件の林マスミさんの長女は 2021年6月に 関空橋から4歳の次女と投身自殺しました。林さんの長女のもう一人の娘が 鶴崎心桜さん。親子投身自殺のあとで 心桜さんは自宅で遺体となって発見された。
林マスミさん夫婦が逮捕されて、子ども達は皆 児童養護施設へ送られた。長男さんは虎伏学園へ長女さんは旭学園へ入った。次女さんが どこへ行ったか知らない。20年ほど前の児童養護施設は今よりも ずっと残酷な状態だった。虎伏学園は 当時、貴志川線沿線の住宅地にあった、当時、虎伏学園では 幼い子を二階の窓から 足をもって逆さ吊りにして折檻することは 普通だったと当時 近くに住んでいた人から聞いた。旭学園は 当時 市役所を定年退職したシロウトが園長として代々きていた。
林マスミさんの長女は16歳の心桜ちゃんを 虐待して死なせる前に児童相談所に預ければ良かったのに、昔の施設の生活を思いだすと それは できなかったのでしょう。4歳の子どもさんを自殺の道連れにしなくても 施設に預ければ良かった。そして 里親への支援が もっと強ければ 亡くなった二人の子どもさんも 里親のもとに来ていたかも知れない。残念なことに、「里親を施設の掃除・草ひきに動員する」と言う企画を 里親支援専門相談員が思いつき、里親支援センターなでしこの職員三人が この企画を全面的に支援し、こばと学園で実行された。こういう里親の環境なので林マスミさんの長女さんも 里親に娘二人を預ける気にはならないし、里親もビビって辞退することになる。




  


Posted by 伝兵衛 at 09:26Comments(0)児童養護施設

2021年11月28日

夜間中学


<20時の中学校はハングルと中国語あり電子辞書 持つ>
作者:鳥居。
この歌人は小学校のときに母親を自殺で亡くす。
身を寄せた児童養護施設にも居場所は なかっ
た。困難な環境に育ち、中学には ほとんど通え
なかった。
冒頭の作品は 栄えある現代歌人協会賞を受
賞した歌集「キリンの子」に収められている。政
府は全ての都道府県への公立夜間中学の設置
を目指している。だが、今年4月時点で12都道
府県の36校にとどまる。指導者が不足し、地域
でどの程度の需要があるのかの調査が難しい面
もある。
公立の夜間中学がない栃木県に民間の有志が
運営する「とちぎ自主夜間中学」が開校し、10月
から授業が始まった。
以上 日本経済新聞 2021年11月22日(月)
社会面から抜粋。
見出し:夜間中学 民間が運営 一隅を照らす市井の志。
記者:和歌山章彦


  


Posted by 伝兵衛 at 16:32Comments(0)児童養護施設

2019年07月23日

「施設の新聞で字を覚えた少女」が絞り出す歌


下記サイトから:
https://toyokeizai.net/articles/-/189328
セーラー服の歌人 鳥居は 2017年「第61回
現代歌人協会賞」をうけた。
彼女は 児童養護施設に預けられた時期もあっ
た。その後、里親に引き取られたが 追い出さ
れた。ホームレス生活を2ヶ月ほど送った後、
格安物件に入居できた。それから 彼女は
ほぼ独学で短歌を作っていた。


  


Posted by 伝兵衛 at 14:23Comments(0)児童養護施設

2018年04月09日

捨てられた子の運命(4


「私たちは子どものために里親を探している
のであって、里親のために子どもを探している
のではない。養子縁組親はカタログの中から
子どもを選び出しては いけない。養子縁組親
は 子どもに無条件に どこまで近づくことが
できるかという境界を明示すべきである」と
Quilitzは言う。匿名で引き渡された子や匿名
で捨てられた子は 受け入れないと言う養子縁
組親は推薦されない だろう。「この子たちは
しっかり つかまっていることのできる もの
を何も持っていない。この子たちは母親から
幼くして、引き離された。それはトラウマと
して鎮静化することも あるし、中心問題と
して繰り返し浮かび上がることも ある。この
ように自己意識の発見は困難だと いうことに
親は付き添う気で なければ ならない。
(つづく
下記サイトから:
https://www.stern.de/familie/das-schicksal-der-findelkinder--bitte-kuemmern-sie-sich--ich-kann-es-nicht--3412502.html


写真提供:sachiさん  


Posted by 伝兵衛 at 21:09Comments(0)児童養護施設

2018年04月06日

捨てられた子の運命(3


他の都市の幾つかの児童相談所では 実の親が
いるという情報のない場合に 保護された子に
八週間後に 準備養育を与える。養子縁組仲介
所のQuilitzは「このやり方をベルリンでは
避けている。なぜなら子どもに さらに挫折を
させたくないからだ」と言う。
将来 どうなるか全く分からない赤ちゃんを
新しい親が受け入れる能力を持っていると思え
るかどうかは 養子縁組の志願の段階で既に
明らかにされている。9ヶ月に渡って次の事が
なされる:これから養子縁組親になる人は
質問書に書き入れ、生活の状況を書き、夫婦
関係について語り、セミナーに参加する予約を
する。セミナーでは既に成人した養子を持つ
養子縁組親と話しあう。そして養子縁組仲介者
に自宅に来てもらう。会話の中で 次の質問が
大切だ:赤ちゃん窓口(母親が匿名で赤ちゃん
を入れられる窓口)に入れられた子を想像でき
るか?その子が自分の源を尋ねた場合に どう
対応するか?(つづく
下記サイトから:
https://www.stern.de/familie/das-schicksal-der-findelkinder--bitte-kuemmern-sie-sich--ich-kann-es-nicht--3412502.html


  


Posted by 伝兵衛 at 21:27Comments(0)児童養護施設

2018年04月05日

捨てられた子の運命(2


それから児童相談所は捨てられた赤ちゃんを保
護し、家庭裁判所は後見人を 法的な代理人と
して指名する。その後、通例 親を探してほし
いという要請を受ける」とベルリン市政府 養
子縁組仲介所 所長 Rdokika Quilitz は言う。
その間に捨てられた子は たいてい病院に入り
検査や治療をうける。「すべての医療上の結果
が得られたら すぐに捨てられた子を引き取る
用意のできた里親を見つける」。もっとも
うまくいくと、二日で里親は見つかる。
(つづく
下記サイトから:
https://www.stern.de/familie/das-schicksal-der-findelkinder--bitte-kuemmern-sie-sich--ich-kann-es-nicht--3412502.html


写真提供:SACHIさん  


Posted by 伝兵衛 at 20:53Comments(0)児童養護施設

2018年04月04日

捨てられた子の運命(1


捨てられた赤ちゃんは早く新しい家庭に迎え入
れられるべきだ。ナンギを更に引き起こさない
ように。
新しい家庭への仲介が どうのように進行する
のか。養育親は どんな能力・条件を持つべき
か。
ミュンヘンで「ラクヴェル、生後一ヶ月」と
書いたメモを付けて赤ちゃんが捨てられていた。
柳製のバスケットに入れられ、毛布にくるまれ
て。
ベルリンで捨てられた赤ちゃんは「1月27日14
時に生まれたモーリツ」というメモが傍に
置かれていた。
このようなメモを書いた人は絶望の末に こう
いう行動を取ったのだろう。一方、子どもを
持つことを望んでいる夫婦にとっては、捨てら
れた子を迎え入れる 良い機会になる。養子縁
組仲介者は 生みの親が分からないままに 
新しい家庭を探す。(つづく
下記サイトから:
https://www.stern.de/familie/das-schicksal-der-findelkinder--bitte-kuemmern-sie-sich--ich-kann-es-nicht--3412502.html


写真提供:SACHIさん
  


Posted by 伝兵衛 at 14:18Comments(0)児童養護施設

2018年01月02日

アフリカの孤児院に支援byドイツの学生(7最終回


20歳になってGogolinは自分の職業についての
将来を組み立て始めた。2014年春に彼女は自
主研究の社会勉強の年を終えた。秋から社会
福祉を専攻する。
彼女は やっと大人になったばかりで職業訓練
を終えていないが、アフリカの孤児院を支えて
いる。そのことについて どう感じているか
という質問に彼女は 控えめに言う:「私の
功績ではない。私は 思いついただけで、その
後 たいへん多くの人々が Havilah Hopeと
いう法人を支えてくれている。一人では決して
できなかっただろうと いうことは分かって
いる」。(おしまい
下記サイトから:
http://www.dw.com/de/afrikanisches-waisenhaus-zukunft-sichern-durch-spenden/a-17550491


  


Posted by 伝兵衛 at 15:52Comments(0)児童養護施設

2018年01月01日

アフリカの孤児院に支援byドイツの学生(6


孤児院を推進してくれる人の中にアフリカ人は
いない。院長Millyには 信教の牧師で年金
生活している人が支援してくれている。彼は
月家賃50ユーロを払う。経費の残りは Gogolin
が作った法人 Havilah Hope が負担する。
Gogolinの方針は単純だ:「私たちは大陸を
超えて離れていても 神の子として 全体の
一部であると 思っているだけだ」。(つづく
下記サイトから:
http://www.dw.com/de/afrikanisches-waisenhaus-zukunft-sichern-durch-spenden/a-17550491


写真提供:SACHIさん  


Posted by 伝兵衛 at 15:23Comments(0)児童養護施設

2017年12月30日

アフリカの孤児院に支援byドイツの学生(5


Gogolin の働きは幼いJoyにも役にたった。
トラウマを受けた少女Joyはスラムで見つかっ
た。長い間 世話されていないらしいこの子は
どこの子か 誰も知らなかった。孤児院に2年
住んでいるのに Joyは無感動で、話しもしな
いし、笑いもしなかった。GogolinがJoyの世話
をした後で Joyは初めて微笑むことができた。
それで Joyは二番目の名前として Gogolinの
Rahelという名を受け継いだ。
アフリカの事情では 月に75ユーロの寄付を
受けることは 金が降り注ぐようなものだ。
院長は電気代を支払うことができるし、子ども
達に日に三食を提供できる。全ての子は三つの
服を手にいれた。ベッドとマットレスも新しい
のを入れた。院長は小学校も設立し、その上に
無休の見習いとベビーシッターを雇った。
(つづく
下記サイトから:
http://www.dw.com/de/afrikanisches-waisenhaus-zukunft-sichern-durch-spenden/a-175504915.


  


Posted by 伝兵衛 at 16:54Comments(0)児童養護施設

2017年12月29日

アフリカの孤児院に支援byドイツの学生(4


古里バイエルン州のDinkelsbuel に戻り、
Gogolin はケニアの孤児院のことを語った。
金を集めて アフリカへ送ろうとしたが それ
は うまく いかなかかった。そこで両親に
手伝ってもらって公益法人Havilah Hope を
設立した。Havilah とは 聖書で金と宝石の
見つかる国の名だ。「孤児院院長ミリーが
この名を選んだ。なぜなら 親を亡くし、虐待
された子ども達の中にミリーは貴重な宝石を
見るからだ」。
Gogolinはパートナーが要ることが分かった。
そこで彼女は代父を探し、寄付を集めた。
うまくいって、20人以上の人がHavilah Hopeの
活動を定期的に支えるようになった孤児院へ
毎月750ユーロを定期的に送り届けることがで
きる。(つづく
下記サイトから:
http://www.dw.com/de/afrikanisches-waisenhaus-zukunft-sichern-durch-spenden/a-17550491


  


Posted by 伝兵衛 at 17:18Comments(0)児童養護施設

2017年12月28日

アフリカの孤児院に支援byドイツの学生(3


孤児院の院長 Milly Dindiとその仕事をより
良く理解するために ドイツ人学生Gogolinは
定期的に孤児院を訪問した。すぐに気づいた
ことは ここに金がないと いうことだった。
しかし全ては清潔だ。子ども達はお腹をすか
せている。20人以上孤児がいるのに、ベッドは
二つしかない。それにボロボロになったマット
レスが付いている。ドアは ない。壁は塗装が
要る。Gogolinは決めた:Millyを支援しよう。
「月に10ユーロ寄付しよう。古里のプロテス
タント教会の会衆に寄付を求めることが でき
ると思った」。(つづく
下記サイトから:
http://www.dw.com/de/afrikanisches-waisenhaus-zukunft-sichern-durch-spenden/a-17550491


  


Posted by 伝兵衛 at 20:49Comments(0)児童養護施設

2017年12月27日

アフリカの孤児院に支援byドイツの学生(2


西ケニアの大都市 Kitale の孤児院を初めて
訪問したことのことを Gogolinは今も正確に
思い出すことができる。大学入学資格試験の後
三ヶ月間 ケニアのキリスト教系の小学校で
臨時教師として働いていた。週末の遠足の時
孤児院のことを知った。そして その主宰者
Milly Dindiと話しするようになった。
Millyは既婚で、三人の子をもつ。2010年に
キリスト教の信念をもって働き始めた。そして
今 彼女は自分の負担で学校の経費をまかな
っている。最初の入学生はスラムからの女性
だった。彼女は生きてゆくに値する未来への
希望はなかった。Rahel Gogolinは この子と
知り合った:「強姦されたり、虐待されたり
する女子もあり、あるいは ともかく生き延び
られるように 売春に向かわざるを えなく
なる女子もある」。
下記サイトから:
http://www.dw.com/de/afrikanisches-waisenhaus-zukunft-sichern-durch-spenden/a-17550491


  


Posted by 伝兵衛 at 21:13Comments(0)児童養護施設

2017年12月26日

アフリカの孤児院に支援byドイツの学生(1


大学入学資格試験を通った後、まず外国へ行
く。その後アフリカの子どもを支援する協会を
作る。ドイツの女性 Rahel Gogolin はケニアの
孤児院を支援している。
各皿には一つのジャガイモが乗っている。2日
間 食べていないので これは有り難い。子ど
も達の目は生きる喜びと好奇心で輝いている:
私たちのところに座ってくれた若い女性は誰
なのか?(つづく)
★ブログ管理人の蛇足:アフリカは欧州からは
近い。渡り鳥は地中海を超えて往復している。
フィリピンと日本のようなもの。
下記サイトから:
http://www.dw.com/de/afrikanisches-waisenhaus-zukunft-sichern-durch-spenden/a-17550491


  


Posted by 伝兵衛 at 21:27Comments(0)児童養護施設

2017年12月23日

白ロシアの低栄養の孤児たち(13最終回


長いあいだ白ロシアでは障害者の存在は抑圧さ
れていた。メディアでも その存在は押しのけ
られていた。やっと少し前から変化が感じられ
るようになった。私立の支援組織が創設された。
啓発活動が始まった。しかし排除でなく包括す
ることについて まだ話されていない。どのよ
うに施設の子ども達に まともに栄養を提供し
ていくか について まず学ばなければなら
ない。(おしまい)
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/panorama/gesellschaft/weissrussland-unterernaehrte-behinderte-in-minsker-waisenhaus-a-1147993.html


  


Posted by 伝兵衛 at 10:28Comments(0)児童養護施設

2017年12月22日

白ロシアの低栄養の孤児たち(12


将来、必要な液状食品はミンスク市の予算から
支出されるそうだ。処置の効率は定期的に検査
される。全ての国立の児童施設の経費を増やす
ことを政府は4月20日に決定した。食品につい
て経費を5%増やし、衛生器具について20%増
やす。
「結果は意味があったと思う」とSinjukは言う。
「孤児院の子どもは平均2キロ太った。そして
十分な追加の食料もある。孤児たちの目を見る
と前より良くなったいるのが分かる。「私達は
正しいことをした」。(つづく)
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/panorama/gesellschaft/weissrussland-unterernaehrte-behinderte-in-minsker-waisenhaus-a-1147993.html


  


Posted by 伝兵衛 at 14:14Comments(0)児童養護施設

2017年12月21日

白ロシアの低栄養の孤児たち(11


「飢えてやつれた子ども達」の事件で捜査は
全国で合計十施設で行われた。幾人かの施設長
は解雇された。医師Momotowは保健省の幹部
達と会った。Momnotowと記者Sinjukは検事に
弁明しなければならなかった。なぜMomotowと
Sinjukは この美しい国に酷い光をあてるのか
を検事は知りたかった。
「反応は たいへん情緒的だった」とSinjuk
は言う。まず第一に責任者達は問題を否定した。
しかし 何かをしなければならないということ
は認識していた。孤児院の生活条件を改善する
ための1年計画が作成された。(つづく)
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/panorama/gesellschaft/weissrussland-unterernaehrte-behinderte-in-minsker-waisenhaus-a-1147993.html
★今年 毎日カキコミしていたけれど 風邪ひき
のため2日 カキコミを休んだ。カキコミの在庫は
ないので その日に原稿を書かないとアカンの
です。


写真のスイセンは 昭和の初めに和歌山市塩屋
の農家の庭に群生していたと伝えられるものの
子孫です。これは 秋葉町に咲いています。今
どきのスイセンと比べて 花は小さい。植えて
みたい方が おられましたら お届けします。
来年に。

  


Posted by 伝兵衛 at 10:03Comments(0)児童養護施設

2017年12月18日

白ロシアの低栄養の孤児たち(10


国の制度を批判すると 白ロシアでは常に批判
者は危険にさらされる。子どもを政治によって
もてあそぶことに ついて政府は明らかに恐れ
てはいないらしい。「ドイツの波」(日本の
NHKのような放送)が報道するように 政府に
好かれない記者たちや反対派に対して 国が
子どもを引き上げると繰り返し 脅している。
(つづく)
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/panorama/gesellschaft/weissrussland-unterernaehrte-behinderte-in-minsker-waisenhaus-a-1147993.html


  


Posted by 伝兵衛 at 20:53Comments(0)児童養護施設

2017年12月17日

白ロシアの低栄養の孤児たち(9


記者Sinjukは2016年末に この施設について
記事を書いた。反響は白ロシア全土から届いた。
児童施設の理事長は嘘を語った。そのうえ役所
は20年前から この施設の救いようのない状態
を知っていたと 記者は言う。この理事長は
自慢した:子ども達の食料を用立てるために
年に96000ユーロを用意したのだと。これは
子ども一人に一日約2ユーロに当たる。この
理事長は解雇された。これを政府の譲歩だと
解釈するのは単純過ぎるだろう。(つづく)
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/panorama/gesellschaft/weissrussland-unterernaehrte-behinderte-in-minsker-waisenhaus-a-1147993.html


  


Posted by 伝兵衛 at 15:54Comments(0)児童養護施設

2017年12月16日

白ロシアの低栄養の孤児たち(8


カテーテルによる栄養の投与あるいは炭水化物
や脂肪で通常の栄養のカロリーを増やすことは
有意義だと神経小児科医Berweckは考える。脳
性麻痺における呑み込み障害は しばしば起き
るので、むせたり 気管に食物が落ち込むこと
がある。「そうしないとしたら絶食になる場合
は 危険を冒す価値はある」。
重度の呑み込み障害をもつ子どもの場合、PEG
(経皮内視鏡的胃ろう造設術)の実行が考え
られる。栄養をカテーテルによって直接 胃へ
送ることになる。(つづく)
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/panorama/gesellschaft/weissrussland-unterernaehrte-behinderte-in-minsker-waisenhaus-a-1147993.html


  


Posted by 伝兵衛 at 17:33Comments(0)児童養護施設