QRコード
QRCODE
※カテゴリー別のRSSです

和歌山の情報発信
ブログポータル

ログインはTOPページで
私も作ってみる


[PR]ちらし印刷選挙用品
[PR]和歌山ネットチラシ
[PR] 和歌山情報ブログでチェックイコラブログ
[PR] 商品ページ1ページからリニューアル!!楽天ヤフーOK!現在キャンペーン


アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 5人
プロフィール
伝兵衛
伝兵衛
オーナーへメッセージ

2017年05月24日

「勤労青年」1950~60年代


豊かな日本の非行グループは カシラにヤク
ザ関係者を持ち、万引き・窃盗・横領を繰り
返し、金はカシラに巻き上げられ、カシラに
薬物の代金を払うという状況でした。
10年ほど前に私の近くにあった非行少年グル
ープと違う「勤労青年」を日本経済新聞2017
年5月20日文化欄は取り上げています:
1954年に本格的に始まった集団就職の若者は
多くが中小企業に入った。
そんな集団就職の経験者にインタビューした
本「集団就職」(弦書房)澤宮優著。「話しを
聞きたいとお願いしても、断られることが多
かったと澤宮氏は言う。激務に加え、差別を
受け、つらい思いをした人が多いからだ。
今、50~60年代が注目されるのは「格差社会
が進んでいるから」と京大の佐藤卓己教授は
見る。悪条件下で働く若者は今も多い。そん
な時代に 日本が貧しかったころを振り返る
機運が生まれているとの見方だ。
とは言うものの「50年代は貧しくても未来を
夢見ることができたが、今はそれがない」と
社会学者 吉見俊哉教授は言う。


  


Posted by 伝兵衛 at 12:32Comments(0)少年非行

2017年01月23日

全国里親会 2012年以降ずさん決算

不正会計処理について 下記サイトを見てください:
http://zenkokusatooyakaimondai.hatenadiary.jp/
和歌山市に女子刑務所がある。受刑者が 刑務所にいる間に
生んだ子どもは 乳児院に入り、その後 児童養護施設に入る
子どもも あるし、一部の子は 里親家庭へ行く。母さんが
出所して、施設に子どもを迎えに行くという例も あるのだろうか?
児童養護施設にずっと居て、中学を出て、就職する子どももいるし、
高校へ入る子どももいる。施設出身者の中には 薬物依存になる
人もいる。里親家庭に入った子どもの中にも 思春期に荒れて、
薬物を始める子もいる。施設出身者の中には 少年院や刑務所に
入る人もいる。なのに そういう子ども達に関心を寄せる人は
少ない。
女子刑務所のある県では 児童相談所・乳児院。児童養護施設・
里親は 女子刑務所のない県と比べて 多くの負担をもつ。
里親も困惑しながら子育てしていたのに、里親の総本山は不正を
している。それも4年間も。まことに情けない。


  


Posted by 伝兵衛 at 17:23Comments(0)少年非行

2017年01月21日

少年法 厳罰化に効果はあるか

少年法は “厳罰化”の流れにある。1997年に起きた神戸連続児童
殺傷事件をきっかけに、刑罰対象が「16歳以上」から「14歳以上」
に引き下げられた。近年も少年が絡む重大犯罪が起こる度に、
少年法のあり方への議論が湧き上がる。果たして、“厳罰化”で
犯罪は食い止められるのか。少年たちの更生に必要なものとは。
法学者や保護司らに話を聞いた。
(ライター・肥沼和之/Yahoo!ニュース編集部)
下記ヤフーニュース サイトを見てください:
http://news.yahoo.co.jp/feature/435
<「法」では少年犯罪は減らせない>
河合幹雄・桐蔭横浜大学法学部法律学科教授
<少年加害者は社会や家庭に見捨てられた“被害者”でもある>
岡田尊司・精神科医
<犯罪を犯さないというだけで「更生した」と言えるのか>
藤井誠二・ノンフィクションライター
<“地域のつながり”が薄れ、見守りが難しくなっている>
中澤照子・保護司

  


Posted by 伝兵衛 at 13:47Comments(0)少年非行

2016年09月13日

困難な青少年のための公園inベルリン(20最終回)

そして この地区の高級住宅化の過程において 問題は簡単には終わらない。
問題は 今、少し見えにくくなっているだけで、消えてはいない。近くの
小学校の校長は言う:問題は今も15年前と同じだ。ドイツ人の親は私たちの
学校を見て、アラブ人が多すぎると思う。生徒たちの貧しさは15年前と同じだ。
言葉の問題も昔と同じだ。
私は後悔している。今日も明日も後悔している。切なる思いで ここから脱出
しようと努力している。緊張している。肉体的な限界にかかわることだ。人は
微笑まなければならない。解決を見つけなければならない。傷害事件が
あれば介入が必要だ。毎日、傷害事件が起きている。
それでも なおフィアルクは毎週7日、朝から夕方まで公園に居る。そして
ハモウディの声が聞こえると、ハモウディの身に何か振りかかっては いないかと
気にかける。フィアルクは疲れ果てているのかも知れないが、体調は悪くない。

そう言うて10分後に彼は「公園は私を救ってくれた」と再び言うた。(おしまい)

下記サイトから:
http://sz-magazin.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/44594/Garten-der-Harten

★ブログ管理人の蛇足:
20回の連載は初めてです。高齢の学者がベルリンで ナンギな少年の
ために公園を作り、役所が彼に報酬を渡して公園を支援しているという
記事に 興味をもって、読んで ついでに記事の抜粋をブログに書くことに 
しました。読んでくださったかたがたに 有難う。

写真提供:lovefreePhoto
  


Posted by 伝兵衛 at 11:32Comments(0)少年非行

2016年09月12日

困難な青少年のための公園inベルリン(19)

ノイコロン地区は この数年に大きく変わった。まず大学生が来て、
学生用のバーが来て、それから家族持ちが引越してきた。高価な
乳母車や 自転車を積むトレーラーを付けた車や 木製玩具を
持った高所得の家族がきた。みんなコメニウス公園が好きだった。
「新しく来た人は 公園へ敷物を持ってきて、芝生に敷きたがる。
そして赤ワインをもってくる。」フィアルクは毎日、酒は禁止だと
説明し、芝生は踏みつけられたら枯れやすいと 言わねばなら
なくなった。フィアルクはイライラした。少年達とのいさかいは 
回避できるのだが 新しく引越して来た人たちが 自明のことと
思い込んでいる事柄に フィアルクは絶望した。(つづく)
下記サイトから:
http://sz-magazin.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/44594/Garten-der-Harten

  


Posted by 伝兵衛 at 12:40Comments(0)少年非行

2016年09月10日

困難な青少年のための公園inベルリン(18)

ハモウディはパレスチナ人で、行儀の悪い 生意気な 知的な子どもだ。
彼はほとんど毎日 公園に立ち寄り、まだ緑色のスモモを摘む。スモモは
皮が固く、レモンのように酸っぱい。それなのに この少年はスモモが好きだ。
ラマダン(断食月)のあいだ昼間は飲み食い禁止なので 喉が渇く。それで
酸っぱいスモモは 喉の渇きを和らげてくれる。
ハモウディは友達と寝転んで 青い空を見ながら、スモモの種を吐き出した。
ブルガリアの家族(三人の女性と四人の男と乳母車)が通りかかった時、
ハモウディはネズミを見つけた猫のような目つきで 彼らを見た。そして 
その家族にスモモを投げつけた。硬い緑のスモモの実は 乳母車の幌に
当たった。(つづく)
下記サイトから:
http://sz-magazin.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/44594/Garten-der-Harten

写真提供:那智勝浦おとん様
  


Posted by 伝兵衛 at 19:12Comments(0)少年非行

2016年09月06日

困難な青少年のための公園inベルリン(17)

フィアルクは人の心の中の善を信じている。この考えは ほとんど
揺るがない。「生き延びるにあたって、他人の助けを受けなかった
人は この世にいない。乳児には食べ物を与える人が必要だ。
我々はすべて 他の人の手助けが頼りだった」。フィアルクは
物事を完全なものにしたい。無傷のものに したい。フィアルクが
無傷のものにしたいと思うものが 何なのかという問いについて 
フィアルクは「アダムとイブの時から 収拾のつかなかった
すべてのことだ」と言う。
フィアルクが6歳のとき、家族のパーティで 彼の代母(幼児洗礼の
立会人)は 彼の場所はどこかと 尋ねた。フィアルクは「私の場所は 
私の居る所だ」と答えた。頑固な子どもだった。大学で彼は 多くの
読書をした。ヘーゲル・フィヒテ・カントを研究した。哲学に夢中に
なったが 満足のゆく答えは見つけられなかった。当時の私の
考えは:私が問題なく正常である間は 世界は問題がない。しかし
公園とかかわって私はこの考えを捨てた。今、私は 私に対して
だけ責任を負っているのでは ない。(つづく)
下記サイトから:
http://sz-magazin.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/44594/Garten-der-Harten

  


Posted by 伝兵衛 at 18:24Comments(0)少年非行

2016年08月31日

困難な青少年のための公園inベルリン(16)

一度だけ ほとんど失敗に終わりそうなことがあった。公園を作り
始めた頃だった。園亭が建てられて間もない時だった。僅かな
人数の この地区に住む 若い男、ボディビルダー、ガードマン風の
男たちが公園を自分たちのものだと思い込んだ。フィアルクは
今も毎日しているように公園を歩いてゴミ拾いをしていた。一人の
男が立ち上がって、ナイフを手にしてフィアルクに近づいてきた。
彼は大柄だが、ナイフには勝てない。しかし走って逃げるのも 
うまくない。その時、芝生の中に使い古したパン切り包丁が
あるのに気づいた。誰かが 弁当を食べにきて、置き忘れたのだ。
フィアルクはパン切り包丁を取り上げ、「待て、ナイフならワシ
も持っている」と言うて 錆びたパン切り包丁を彼らに向け、
脚を広げて彼らの真似をした。彼らは笑って わめくだけだった。
フィアルクは公園を失わなくて済んだ。
「あれはヤクザの果たし合いのようなものだった。私は ああいう
のには反対だ。私の道義では ない。しかし そういうことも存在
すると言うことを 知っている」。後になって 警察は 生きるのに
疲れ果てたのかと彼に尋ねた。(つづく)
下記サイトから:
http://sz-magazin.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/44594/Garten-der-Harten

  


Posted by 伝兵衛 at 17:10Comments(0)少年非行

2016年08月28日

困難な青少年のための公園inベルリン(15)

★ブログ管理人の独り言:長い連載になってしまった。あと3回くらい
です。まとめて一度に載せれば良いのですが そうなると何日あとに
載せられるか 分からないので こう なりました★
ブラクは言う:「私達は大きくなったので 規則は破るために ある
ようなものだった。ここに来て 初めて そうでないことが 分かった」。
ブラクはフィアルクのやり方を 次のように要約している:「フィアルクは
自然の法則と同じような規則を作った。彼は はっきりした規則を提示した。
そうすることで 少年一人ひとりに生活の中に居場所を与えた」。
フィアルクは 6歳児をも 大人と同じように 真剣に受け止める。それが
大切だ。彼は忍耐強く子ども達に献身している。彼は子ども達の言うことに
耳を傾け、子ども達に思う存分 話させる。彼は世界についての 子どもの
見方を認めている。たとえ 子ども達が「木々が風を起こす」とか「水は
心のようなものだ」とか「空気は神から生まれる」と言い張ったとしても
子どもの見方を彼は認める。最も賢い頭脳が発した答えを 受け止めるのと
同じように 子どもの答えをマジメに受け止める。(つづく)
下記サイトから:
http://sz-magazin.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/44594/Garten-der-Harten

無人の屋敷in岩出市  


Posted by 伝兵衛 at 09:17Comments(0)少年非行

2016年08月23日

困難な青少年のための公園inベルリン(14)

フィアルクは厳格だが、寛容だ。自分の規則をいつ破らなければ
ならないかを 彼は知っている。実は公園の中では どんな種類の
薬物も禁止されている。30歳代中頃のグループが公園の中をビール
一箱をもって歩いていた時、フィアルクはすぐに彼らを追い出した。
ブラクと言う青年については フィアルクは寛大に付き合った。
ブラクは公園のすぐ傍の家で育った。彼は 27歳の大学生で、薬剤師に
なりたいと思っている。以前は100メーターを10.4秒で走った。しかし
17歳のとき怪我をして、椎間板を痛め、バスケットボールの選手になる
夢が消えたとき ブラクは数週間、公園に座って、マリファナを吸った。
フィアルクは 彼をそのままに していた。「フィアルクは見ないふりを
してくれた。私を知っていたので 通りすぎてくれた。私に何が起きた
のか フィアルクは知っていたので そうしてくれた。」フィアルクの
規則は融通が効く。規則が役にたつ というよりも 害になると彼が
思ったら、彼は規則を緩める。(つづく)
下記サイトから:
http://sz-magazin.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/44594/Garten-der-Harten

  


Posted by 伝兵衛 at 16:51Comments(0)少年非行

2016年08月18日

困難な青少年のための公園inベルリン(13)

「力は 本来は 多様な形であり、創造性に現れ、美にも現れるもので
あるのに、退廃した力として暴力に現れることがある」。フィアルクは
即座にデカルトについて あるいは ドイツ理想主義について 半時間
話すことができる。フィアルクは 子ども達のファイルを持っている。
そのファイルには 天国・無・はかなさ・あるいは「怖いものは何か」
についての子どもの回答が書かれている。
当時7歳だったエリフは答えに次のように書いている:「死ぬことが
怖い。遊び場で女の人が殺された」。7歳のメルベも同じ事件について
書いている。これは2003年の事で、公園からほんの数歩の所で起きた。
(つづく)
下記サイトから:
http://sz-magazin.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/44594/Garten-der-Harten

写真提供:SACHIさん  


Posted by 伝兵衛 at 17:16Comments(0)少年非行

2016年08月14日

困難な青少年のための公園inベルリン(12)

アリは塗装工養成コースをやめた。テレピン油に耐えられなかったからだ。
その後 ガス工事工の養成コースも止めた。今28歳になって、製品デザイナー
の資格を取った。彼には15ヶ月になる娘がいる。父親のモスクで歌っている。
警察が モスクでの食事会に時々 立ち寄ってくれるのが 彼には嬉しい。
アリはフィアルクさんを 幾度か自宅に招待した。皆で食事をして、最後に
アリと父親はフィアルクさんのためにイスラム教の歌を歌う。神への憧憬を
悲しみをこめて語る歌だ。
フィアルクはスモモの木の下で座っている。スモモは二本とも幹に深い傷が
ある。20年前に二人の少年がナイフで 若木に切りつけたのだ。フィアルクは
その後で 近所の人々に誰がこんな事をしたのか知っているか どうか尋ねた。
二人の少年の名があげられた。一人の少年の家へフィアルクが行って、家族に
驚いていると言った。父親は二度と こんな事の起きないようにすると
フィアルクに約束した。二人目の少年の家では フィアルクがドアをノック
する前に 少年が泣きながら出てきた。その子は 木を傷つけたために
殴られたのだ。もう一人の少年の親が フィアルクが苦情を言いにくると
知らせていたのだ。「それ以来、私は親のところへ行って良いか どうか
子ども達に尋ねることにしている」。(つづく)
下記サイトから:
http://sz-magazin.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/44594/Garten-der-Harten

  


Posted by 伝兵衛 at 19:39Comments(0)少年非行

2016年08月11日

困難な青少年のための公園inベルリン(11)

あるときアリが友人達と公園の園亭に座っていると、トルコ系の
少年10人が通りかかった。アリは彼らを知っていた。友達の弟たち
だった。彼らはアラブ系のグループと闘う約束をしているのだと
アリに言った。棒・殺人用の棍棒・ナイフを持っていた。その武器を
使って 彼らはコメニウスの像の前で乱闘する気だった。アリは彼らに
言った:「おまえら、ここで何するんじゃ。気ぃくるっとんのか」。
彼らの両親も兄も知っているのだと アリは言った。この公園は
そんな事をする場所では ないと言うて聞かせた。そしてアリは
彼らに武器を捨てさせ、公園から追い出した。
当然のことだが、フィアルクの影響力は公園の外では限られている。
しかし「ここでは 暴力沙汰は起きないということは 大きな成果だ」
とフィアルクは言う。
進路が変わったという物語もある。非行グループR44のメンバーだった
一人は ベルリンで高校卒業資格試験に優秀な成績で合格した。支店長に
なった人や 中堅企業の社員になった人や 食堂を自営している人もいる。
それほど幸運でなかった人もいる。幾人かは刑務所に入った。薬物
依存症になった人もいる。一人は血液の癌で亡くなった。一人は自殺
しようとして失敗し、その後 車いす生活をしている。(つづく)
下記サイトから:
http://sz-magazin.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/44594/Garten-der-Harten

写真提供:朝間さま  


Posted by 伝兵衛 at 16:03Comments(0)少年非行

2016年08月08日

困難な青少年のための公園inベルリン(10)

非行少年たちは 狩人であり、狩られる者であった。危険な遊びは 
幾度も うまく いかないことが あった。ある時には アラブ系の一団が 
銃をもって ノイコロンのそこら中をアリを求めて 探しまわった。また 
ある時には アリと数人の友人が警察の追われて 地下鉄の構内に
走りこんだ。電車が近づいて来る音が聞こえ、彼らは トンネルの壁に
張り付いて 電車を避けた。彼らが地下鉄の駅のもう一方の端から
出てきたところで 警察に捕まった。
一方、コメニウス公園では 彼らは そういうアホな事をしなかった。
公園は青少年の自己決定の場だと フィアルクは言う。彼らは弱点を
見せることも できた。
アリは 公園でゴミ拾いをした。レッドブル(という飲料)の缶を集めた。
他の少年は煙草の吸い殻を拾った。彼らは フィアルクと一緒に果実を
摘むだけで、枝を折ることは もう しなかった。アリは友達たちと一緒に 
公園の中央にある園亭の中で しばしば座っていた。そこで ラップで歌い、
コーランについて話しあい、女の子について話した。フィアルクは 彼らを 
そっとしておいた。そうするうちに、彼らはフィアルクから受けた信頼に
対して、恩返しを始めた。(つづく)
下記サイトから:
http://sz-magazin.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/44594/Garten-der-Harten

  


Posted by 伝兵衛 at 14:44Comments(0)少年非行

2016年08月03日

困難な青少年のための公園inベルリン(9)

アリは この公園で最初のラップ・コンサートを開いた。フィアルクは
コンサートを手配した。コンサート終了後、コンサートに来た政治家は
暴力を賛美する歌詞について苦情を言った。それが言葉に留まって
いる限りでは 歌詞は どうでも いいとフィアルクは思っていた。
乱闘は たいてい長い間 にらみ合うことから 始まった。にらみ合いが
長すぎると 殴り合いが始まった。殴り合いのない場合、彼らは地下鉄の
駅で あばれた。ノイコロン警察の留置場にスプレーで落書きした。
彼らは指に攻撃用の鉄の輪をつけていた。望遠鏡・警告用ピストル・
ドス・時には鉈を持っていた。鉈は「恐怖を与えるためだけで、実際に
使ったことはない」とアリは言う。それほど野蛮でなかったということが 
今のアリにとって大切だ。(つづく)
下記サイトから:
http://sz-magazin.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/44594/Garten-der-Harten

写真提供:lovefreePhoto  


Posted by 伝兵衛 at 18:33Comments(0)少年非行

2016年08月01日

困難な青少年のための公園inベルリン(8)

フィアルクは幾度も非行少年グループR44のことを話した。目立っていて、
騒々しく、生意気な少年のことを 特に話した。その少年アリは背丈は高く
ないが、がっしりした体格で、目つきが鋭く、リーダーの一人だった。
フィアルクは アリを幼い頃から知っている。初めてアリがフィアルクの
公園に来たとき、アリは木に登って枝を折った。フィアルクはアリの
肩を掴んで、揺さぶり、怒鳴った。「二度と こんな事をするな」。
次のとき アリはフィアルクからリンゴと水をもらった。フィアルクは
非行グループの子ども達の宿題を手伝った。アリは後に 思春期になった
頃、父親に夜 家に入れてもらえない時に フィアルクの公園に来た。
アリの父は近くのモスクの導師である。父親は厳格な人で、息子が夜中に
うろつかないように願い、アリが午前0時までに戻って来ない場合には
玄関の鍵をしめた。夏には アリはコメニウス公園のナシやリンゴの
木の下で野宿した。子ども達はフィアルクのことを「フィア・エク(四角)
さん」と呼んだ。「フィア・エクさんは父のようなものだ。他の人たちが
私たちと関わろうとしないときにも フィア・エクさんは 私たちを受け
いれた」とアリは言う。(つづく)
下記サイトから:
http://sz-magazin.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/44594/Garten-der-Harten

写真提供:sachiさん  


Posted by 伝兵衛 at 17:53Comments(0)少年非行

2016年07月31日

困難な青少年のための公園inベルリン(7)

ギャングの一人が威嚇ピストルを監視カメラの前で撃った
あとで、ベルリン市下院の内務委員会は 少年ギャング団
R44と関わりを持った。ベルリン市議会議員は 警察が
ギャングに対して何ができるかを知りたかったのだ。公園の
中央にある木造の園亭「魂の楽園」は R44のお気に入りの場所だ。
「ハッサンは学校へ行けなかったので 路上で騒いでいて、
私は彼と知り合った」とフィアルクは言う。ハッサンは以前に数日 
学校へ行かなかったことがあった。彼は両親からの弁明の手紙が
必要だった。しかし両親は字を書けなかった。少なくともABCを
書くことは できなかったと ハッサンはフィアルクに話した。「私が
弁明の手紙を書き、両親は それにサインすれば いいようにした」。
ハッサンは後に監視カメラの前で 威嚇ピストルを撃った少年だ。(つづく)
下記サイトから:
http://sz-magazin.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/44594/Garten-der-Harten

写真提供:SACHIさん  


Posted by 伝兵衛 at 17:08Comments(0)少年非行

2016年07月28日

困難な青少年のための公園inベルリン(6)

公園での規則は フィアルクの口から発せられると 詩的である。
「ときには公園へ袋を持って来る子もいる。果物を摘んで 家へ
持って帰るのだ。そういう時に 天国に袋は無いと言うて聞かせる。
天国では その日 採集したものを 食べて暮らすのだ」。
この天国に リンゴ・ナシ・スモモ・桜・スグリ・桑・マルメロ・
木苺・クルミ・ハシバミが植えられている。公園の中を小川が
流れる。池やバラ園もある。これが ソーセージ工場やスーパー
マーケットから100メーターも離れていない所にある。
公園の中の果樹園と共に、R447という少年のグループも成長した。
R44は 数年前まで トルコ系の最もナンギな少年ギャングだった。
他のギャングと 板で殴り合い、ナイフで斬り合った。(つづく)
下記サイトから:
http://sz-magazin.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/44594/Garten-der-Harten

写真提供:SACHIさん  


Posted by 伝兵衛 at 15:22Comments(0)少年非行

2016年07月26日

困難な青少年のための公園inベルリン(4)

この庭に来る人には 規則・原則が適用される。ホロコーストについての
罪・人の尊厳・累進的租税制度から 女性との交際までも含む規則全体が
適用される。ドイツ人は犬を愛するなどという奇妙なことも適用される。
色々と質問した後に「私たちは しょせん そうなのだ」という以外、
他には何もないことに なる。ともかく私たちは そう行動するのだ。
「私は理由を論じ尽くし、硬い岩に到達した。私の鋤は 曲がって
しまった」と哲学者ウィトゲンシュタインは 規則を説明しようとする
試みについて述べる。説明できない規則もある。一緒に生きる他ない。
(つづく)
下記サイトから:
http://sz-magazin.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/44594/Garten-der-Harten

  


Posted by 伝兵衛 at 17:43Comments(0)少年非行

2016年07月24日

困難な青少年のための公園inベルリン(3)

楽園の誕生にあたって、手伝った人はミヒャエル・ヴェントという
人で、当時ベルリン市庁の都市計画担当者だった。フィアルクが
公園の計画を書いた時、ヴェントは その普通でない考えに
感激した。そこで彼は420万マルクを用意し、有名な景観設計家に
依頼した。その設計家が 公園の構想を描いた。
ベルリン市庁の事務次官が その構想を珍妙すぎると考えたため 
これを拒絶したときにも、ヴェントはこの公園を見捨てなかった。
新しい事務次官が任命されるのを待ち、新事務次官が公園を
認可した。今までフィアルクの給料はベルリン市が支払っている。
フィアルクは自分の職を「世俗的牧師職」とよぶ。(つづく)
下記サイトから:
http://sz-magazin.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/44594/Garten-der-Harten

  


Posted by 伝兵衛 at 18:20Comments(0)少年非行