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伝兵衛
伝兵衛
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2007年10月31日

居場所/児童養護施設

非行少年は 居場所がないと 感じていると いうことを 聞きます。

居場所のない子どもの内 もっとも辛いのは 乳児院・児童養護
施設にいる 子どもだと 思います。
乳児院は2歳まで その後は 養護施設です。

施設にいる子どもの 中で 週末に家庭へ帰る子もいますが 
それは 一部のようです。

乳児院にいる間に 里親へ でたら いいし、あるいは
 養護施設に入っている子も できるだけ 施設にいる年月を 
少なくして 里親へ 出られたらいいのですが、児童相談所は 
人手が 足りなく 里親を支える 安全網は 弱く 里親は 
減ってきています。

施設の低学年の子どもを 週末だけ 預かる 週末里親という
のがあるそうです。しかし 一泊するだけで 居場所に なるとも
思いにくく、これは 欺瞞のような気がして なりません。
施設の 経費節減には なります。

養護施設は 和歌山市内に三つあります。里子は 市内に 
ごく少数しかいません。そういう子どもの 実情は 知られないままです。

養護施設の内部の状況について 施設出身者の 
下記ブログを 見てください。お二人とも 幼い頃から 社会に出るまで
施設で 過ごした方です。

http://prayermaria.blog74.fc2.com/

http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/
  


Posted by 伝兵衛 at 17:06Comments(0)

2007年10月29日

基礎学力をつけることに専念する高校@東京

ニッポンの教育
日本経済新聞 連載 
2007年10月27日

全人時代、現場は試行錯誤

第5部
輝きを取り戻す(4) 
進学率の呪縛 解け

(前略)
 一足早く全人時代を迎えた高校では様々な改革が進
む。東京都では進学指導重点校、中高一貫校、チャレ
ンジスクール、単位制など受け入れる生徒像を明確に
した高校が生まれる。「偏差値を特色に置き換えた階
層化だ」とある都立高校長。
普通高校や専門高校など旧来の仕組みだけでは、生徒
の多様化に対応できないのが現実だからだ。

 都立蒲田高校は今春、エンカレッジスクールとして
再発足した。勉強は苦手だがまじめな生徒を応援す
る。入学選抜に学刀試験は課さず、中間・期末試験も
にない。一年生は二人担任制と三十分授業を導入し、小
中学校の内容まで立ち返るきめ細かな指導は、高校の
イメージを一新する。

体質強化の観点で

 「基礎学力をつけ、人としての力を育てたい」。芝
尾仁校長は意欲を燃やす一方で「高校進学率の上昇が
本当に良かったのか」との思いも抱く。学力の差がつ
きすぎ、同じ学習指導要領で全高校生を教えるのは限界に
近い。16-18歳の行き場所が、高校以外になくなった
のも問題だ。

 とは言っても、97%に及ぶ高校進学率を今さら下
げることは困難だ。ただ5割前後の大学では、まだ手
は打てる。質の低い大学の淘汰を促せばいい。それが
結果的に日本の大学の体質を強くするはずなのだが、
中教審報告は現在の進学率を過剰とはせず、さらなる
上昇に期待を込める。
(後略)
★ 管理人の注釈:
記事の中にある エンカレッジ スクールはひょっとしたら 
encourage school かもしれない。しかし encourgeは
動詞なので これでは 何のことか 分からない。
おそらく encouraging school 「人様を元気づける学校」
なのだろう。

非行の生徒は 夜間徘徊し 学校で授業中に寝るようです。
これでは 何のための学校か 分からない。
  


Posted by 伝兵衛 at 15:27Comments(0)

2007年10月28日

和歌山城聴きあるき11月3日お知らせ/おと と まち

この行事の広報を 西風さんの支援をしてくれる BEE久保田さん
から 依頼されましたので 下記に貼り付けます。

おりづるの会と まったく 関係ない 催し物を のせるには
何か 理屈を付けないと いけないので、こじつけると
おりづるの会を 和歌山大学の 院生が 手伝ってくれています。
この企画の 発起人は 和大の先生です。

明治の人は 「理屈と膏薬は 何にでもつく」と 言いました。
今 膏薬という言葉は ほとんど 死語です。

★西風さんは ベルリン芸術大学から 公募で和歌山大学に 来て、
4月から 和大で 教えています。

―和歌山城聴きあるき-

この体験型イベント「おととまち―和歌山城聴きあるき」は、
普段ないがしろに しがちな「まちのおと」に注目し、
そこに暮らす 私たちの環境を 改めて 考えてみようという
イベントです。
まずは 和歌山市の中心に 付置する 和歌山城公園内を散策し、
とのような音が 聞こえてくるかを体験します。

2007年11月3日(祝)
小雨決行・荒天中止
対象:中高生以上
参加費 無料 (先着順)

★ワークショップ(定員50人)
音を聴きながら和歌山城公園を歩きます。
                        
受付 場所: 和歌山県立近代美術館正面入口前  
実施場所:和歌山城公園内
受付開始:9時30分
     ワークショッブ10:00-11:30
     ディスカッション 11.30-12.15

ドイツや日本で「より良く聴くこと」をテーマに活動を行っている西風満紀子さ
ん(和歌山大学教育学部)のナビゲーションのもとで和歌山城公園内を散策し、聞
こえる音の比較をしたり、音の違いを予想したりしながら音の風景のシートを作
ります。
筆記具を用意してこ参加ください。天候に応じて雨具などをこ持参ください。

★ トークセッション(定員80人)
自分たちを 取り巻く音について話をします。       

受付場所:和歌山県立近代美術館 応接室

受付開始: 13.30
トークセッション 14.00-16.00
途中休憩を挟み 最後に 会場からの質疑応答が あります。

おとやまち について 様々なアプローチを 行っている5名の方を
招いて、「おととまち、そしてそこに暮らす私たちの環境」をテーマに
トークセッションを行います。
バネリスト
 西風満紀子:和歌山大学 教育学部
 関和明:関東学院大学 建築学科教授
 柿沼敏江:京都市立芸術大学 音楽学部教授
 平松博: 株式会社ぶらくり取締役
 奥村一郎:和歌山県立近代美術館  学芸員
 (順不同)

主催:鍛冶屋町クリエイションラボラトリー 

協力:和歌山県立近代美術館、 株式会社ぶらくり

この事業は和歌山市わかやまの底力・市民提案実施事業の助成を受け実施しています。
和歌山市担当窓口:和歌山市教育委員会文化振興課

★参加申し込みの方法
参加ご希望の方は下記までご連絡ください。
参加費 無料(先着順)

tel 073.423・7678
fax 073・424-7522
ホームページ http://www.kajiyamachi.com 申し込みフォームより
メール info@kajiyamachi.com
お名前、ご住所、電話番号(携帯可)をお書き添えの上
上記連絡先までお申し込みください。

ワークショップ、トークセッションどちらか一方の参加も可能です。
鍛冶屋町クリエイションラボラトリー
〒640-8023 和歌山市中ノ店北ノ丁22
北ぷらくり丁会館2F-1号室
URL http://www.kajiyamachi.com

このイベントはワークショップとトークセッションの2部構成です。
両方を通して参加希望の方は昼食などのご用意をお願いいたします。

★トークセッションパネリスト

西風満紀子
作曲家、ピアニスト、音のパフォーマー
和歌山県粉河町(現紀の川市)出身、愛知県立芸術大学卒業後カリフォルニアのミルズ
力レッジ大学院を経てベルリン芸術大学大学院修了。
2006年ベルリン芸術大学で実験音楽の「風景を聴く」を担当、2007年ベルリン
芸術賞、若手奨励賞受賞。2007年より和歌山大学教育学部勤務。
http://www.makiko-nishikaze.de

関 和明
建築史家
1948年、京都市生まれ。関東学院大学建築学科・教授。早稲田大学理工学部建築学科卒業。
同大学院理工学研究科建設工学専攻・建築史研究専修・修士課程・博士課程修了。
主な研究テーマ:
古代エジプト建築(王宮建築、都市、庭園)、西欧のモダニズム建築(パウハウスなど)、横浜
市および葉山市におけるまちづくり(歴史的建造物・景観の保存と活用)、小規模な仮設建
築(ビーチハウス)の設計・建設の実践など。
主な著作:
「マルカタ王宮の研究」「マルカタ南/ 魚の丘/建築の研究」「ナイルの祝祭」エジブト図
像観光」「ハンネス・マイヤーとバウハウス」「都市の記憶一横浜の近代建築」など。
http://home.kanto-gakuin.ac.jp/゛kg064302/

柿沼 敏江
音楽学
京都市立芸術大学音楽学部教授。静岡県生まれ 国立音楽大学楽理科、お茶の水女子大字
大学院人文科学研究科修士課程修了。お茶の水女子大学大学院在学中に現代音楽祭「バ
ン・ムジーク・フェスティヴァル」の音楽評論のコンクール「アドホック・クリティック
」で、第1位「音楽之友社賞』を受賞。1989年、ハリー・バーチの創作楽器に関する研究で
Ph.D.を取得した。
帰国後は、明治学院大学などで教鞭をとるとともに、多様化する現代の音楽状況について
幅広い視野から研究を続けている。2001年度から現職。

平松 博
株式公社ぶらくり取締役
和歌山県生まれ。まちづくり会社「株会社ぶらくり」を運営。
ぶらくり発信物のフリ-ペーパー「Bravo_」の立ち上げに関わるなど、まちと文化を
つなぐ活動も行う。

奥村一郎
私歌山県立近代美術館 学芸員。
岐阜県うまれ。サウンドアーティスト鈴木昭男を招き、和歌山市内に耳を澄ますべきポイ
ントを探した。「鈴木昭雄 点音in和歌山」(2005)などを行う。
  


Posted by 伝兵衛 at 17:02Comments(0)

2007年10月28日

退学の勧告/日本経済新聞 連載 クラスルーム

日本経済新聞 連載 クラスルーム
2007年10月26日

退学の勧告
難しい処分の線引き 

 高校の教員生活三十年の中には様々な出来事がある。
自分の気持ちと異なることを生徒に告げたこともあ
った。問題を起こしたA男に、担任として自主的退学を
促し、卒業まで残り半年なのに退学させたことも、
つらい思い出のひとつだ。 

 A男は不良グループに属していたが、人なつっこい
性格でクラスの人気者だった。そんなA男が、校内で
下級生に恐喝行為を行なった疑いで、生活指導部に
呼び出された。

 問題行動の事情聴取は生徒指導部が担う。生徒指導部
による一通りの聞き取りが終わり、全容が明らかに
なった後、担任は同部から事情を聞き、その後の生徒の
指導や保護者の対応にあたる。

 A男の恐喝は、「自分の誕生日を祝ってくれ」と面識の
ない下級生数人に声をかけ、五百円程度を脅し取った
というものだった。
 A男に会うとすっかりしょげている。「先生、おれ、
冗談っていうか、脅し取るつもりなんかじゃなかった
んだけど、やぱいことやったかな?」
 どうも、その場のノリで声をかけ、下級生がカンパして
くれば、もらうけど、出さなければ、それでどうす
るつもりもなかったということらしい。

 声をかけられた下級生の中には、はなから冗談だと思い、
「無理っすよ、先輩!」と軽いノリで返した生徒もいた。
事件になったのは、ある生徒が脅されたと思って五百円を
出し、帰宅して親に訴えたからだった。

 A男の特別指導の原案をつくる会議は紛糾した。
問題行動が多い教育困難校なので、生徒指導は厳しい。
校内での暴力行為や恐喝行為は退学が原則だ。ただし、
法的な懲戒としての退学処分は本人の不利になるため、
自主的な退学を勧告し、進路変更(退学)してもらう
のが通例だ。

 A男のケースは、冗談と受け流した下級生もいたので、
恐喝行為かどうかが問題になった。私は「無期謹慎で
チャンスを与えてほしい」と訴えたが、受け入れられ
なかった。退学処分相当の原案が作られ、校長も
承認した。

 自分が反対しようが、決まった以上は、退学を促し、
穏便に自主退学してもらうのは担任の役目だ。

 その夜、私はA男宅を訪問した。
 「恐喝と思われた以上、自主的に退学をしてもらい
たい」。本人と父親を前にそう告げたとき、無念そうな
顔のA男が涙を流しながら、「わかりました。ご迷惑かけ
ました」と言った姿が、いまでも忘れられない。
           (学校研究会)

★ 高校の処分は 厳しいようです。  

地元中学では グループのリーダーの一人が 博打を
開き 1週間で10万円近くの金を 下級生から巻き上げた
のに、2000円の金が動いたということで、胴元はそれを
学校へ渡しただけで 何の処分も無かった。
金を取られた うちの一人は 転校し、二人は その金を
工面するために 窃盗をして ばれて 警察で何時間も
調べをうけた。胴元は 今も 近所で 遊び暮らしている。
  



Posted by 伝兵衛 at 11:46Comments(0)

2007年10月26日

薬物依存は刑罰で改善できず

君たちのために
 
井垣 康弘 弁護士
産経新聞2007年10月24日 夕刊

前回の続きを。このお肉屋さんの場合、実刑か再度の
執行猶予かどうしても決断できず、悩みながら散歩に
出かけた。店の前を通りかかったのは偶然だが、
「当然閉店」と思い込んでいたのに、目にした光景は、
被告人とその妻が店頭に寄り添って並び、
満面の笑みをたたえながら客に愛想良く対応している姿
であった。「明日から閉店するにせよ、今日一日のお客さんを
大事にしよう!」と頑張っている姿勢が「ドーン」と伝わって
きた。夫婦仲のよさも分かった。

 私は、この店を閉鎖させ、夫婦を1年も切り離すのは残酷す
ぎると直感し、再度の執行猶予に決めた。翌日の判決には、実
刑(即時収監)を予測して妻が下着を風呂敷に包んで持参して
いたが、宣告後、被告人夫婦は傍聴席で抱き合って人目もはば
からずうれし泣きし、風呂敷包みを忘れて帰った。

以後約30年覚醒剤の自己使用に対する対応は、司法による
厳罰化が進展し、受刑者1人につき1月あたり20万円強の経費
も掛かるのに、初犯とその執行猶予中の再犯分を合わせて、
3年半も刑務所に入れる。しかも、薬物依存は「病気」であり、
刑罰によっては改善されないから、以後の再犯も防げない。
本人にとっても、社会にとっても、悲惨な状況になってきている。

 ところが最近、刑務所で受刑者に対して「薬物依存離脱指導」
のプログラムが実践され始めた。指導目標は、①薬物依存につい
ての理解②薬物使用の原因や責任の自覚③出所後の再使用防止のた
めの具体的方策の検討④出所後の生活設計-の4つである。

 他方で、薬物依存者のリハビリ施設「ダルク」(自助グループ)
が目標としている「回復」とは、①規則的で健全なライフスタイル
の確立②自分と向き合い、自分が依存症であることを受容する③同
じ問題に直面している仲間への共感をベースによく聞きよく語り合う
④薬物を使わない新しい生き方を目指し、今日一日は薬を使わず、
精いっぱい生きようと頑張る-の4つである。

 刑務所での離脱指導とダルクでのリハビリがつながれば、これは
画期的な前進である。ダルクは、近藤恒夫さんが21年前に立ち上げ
たものであるが、その著書「薬物依存を越えて」(海拓舎)は
感動の名著である。

 また、最近石塚伸一編著「日本版ドラッグ・コート」(日本
評論社)が発売された。「帯」に近藤さんが書いている。
  「厳罰主義で失敗したアメリカの薬物対策の二の舞を踏んで
はいけない。薬物依存からの回復は、自分が依存症だと認める
ことから始まる。司法関係者には気づいてほしい。『ダメ。ゼ
ッタイ。』だけでは薬物は止められない。回復しようとしている
人たちを閉じ込めるだけではなく、援助してほしい。本書は、
いまを変えようとしている研究者たちの『爽やかなチャレンジ』
である」。
  


Posted by 伝兵衛 at 16:49Comments(0)

2007年10月25日

謹慎処分改善試行@近所の高校

近くの高校は 今まで 謹慎というと、家に じ~と居る
だけだったのですが、今年から 弁当もって 学校へ
来て 草引き・掃除などの 作業を するというのも
選択肢に 入れたところ 先生と 生徒が 作業中に
話しできるし たいへん 結果が いいそうです。
ただ 先生の負担が 増えて 先生は しんどい。
見張っていないと 寝てしまう 生徒もいるから
先生は 見張りも兼ねる。

生徒指導室のホワイトボードに 「○○ミ:化粧落とし」
とか 「××:カツラ」などと 書かれています。
しかし カツラをつけて 来る高校生も おるんやろか?
  


Posted by 伝兵衛 at 06:57Comments(0)

2007年10月24日

薬物と闘う ⑧日本経済新聞

日本経済新聞 2007年10月23日夕刊

薬物と闘う ⑧
ロールプレイングで学ぶ
自ら解決する能力磨く

 「やせる効果があるんだ。少しなら大丈夫だよ」
「私は法律違反は犯したくないんです。それより先輩、高
校生活は楽しいですか」「せっかく持ってきてやったん
だろ」 「これまでの先輩との関係がクスリをもらう関
係になってしまう。僕はいやです」

 埼玉県川□市の十二月田 (しわすだ)中学校二年生
のクラスで今月上旬行われた総合的学習の時間。六つ
の班に分かれた教室内で保護者と生徒の間の模擬問答
が繰り返された。保護者の役は違法薬物を勧める卒業
生。上手に断る役は生徒が演じる。

 繁華街が近い住環境から生活指導に力を入れてきた
同校は「子どもの生き方の指導は学校だけではできな
い」と保護者の協力を求め、この日も六人の生徒の母親
が加わった。「生徒同士では緊張にかける。大人と対
面し実際の場面に少しでも近づけるのが狙い」と担任
の佐藤恵子教諭。

 演技を通じて学ぶロールプレイング授業を薬物教育
に導入する学校が広がっている。ストレスなども含め
日常生活で生じる様々な問題に前向きに対処できる能
力を育てる、ライフスキル教育と呼ばれる指導プログ
ラムの一環だ。

 「ダメ。ゼッタイ。」を スローガンに国は児童、生
徒の薬物乱用防止の指導を 学校現場に徹底してきた。
この結果、麻薬取締官や警察官OB、薬剤師らが講師
として派遣され、薬物乱用の恐ろしさを講義する薬物
乱用防止教室が定期的に開かれたり、保健体育などの
教科書に薬物の種類や危険性、依存症などについて詳
しい記述が盛り込まれたりするようになった。

 が、知識だけでは日常の危険から身を守れない。実
際の場面で対応できる術を学ぶのがロールプレイング
学習だ。「せりふを自ら考え、解決法を見つける経験
を積むことが大切で単なるノウハウではない」 (佐藤
教諭)という。

 中学校の現場で、ライフスキル教育を推進してきた
日本学校保健会の並木茂夫事務局長は「薬物に手を出
す子どもたちはある時は自分を大きく見せようとし、
ある時は自暴自棄になっている。性の逸脱行為など非
行すべてに通じる。自分自身を大切に思い、周囲から
大切に思われているという気持ちを育てなければ目的
は達しない」という。ライフスキル教育自体は欧米か
ら導入されたが、もともと薬物教育から発展したもの
だ。

 学校現場は、その場限りの薬物教育が無力であるこ
とをはっきりと認識している。
  


Posted by 伝兵衛 at 17:55Comments(0)

2007年10月23日

薬物と闘う (7)家族を支える

日本経済新聞 2007年10月22日夕刊

家族を支える
薬物と闘う (7)
依存症立ち直りのカギに

「薬物依存症は病気です。治らない病気です。でも普
通の社会生活を過ごすことも可能なのです。そのため
に家族の役割が大切」

 東京都の多摩総合精神保健福祉センター。週一回の
頻度で開かれる薬物やアルコール、ギャンブルなどの
依存症患者を抱える家族を対象とした教室。

 九月下旬の家族教室に出席したのは夫婦での参加も
含め15人。五十嵐雅美・相談員がホワイトボードを
前に話を始めた。薬物依存の息子がいる母親が質問す
る。「病気だから治すということから始めるだけでい
いのでしょうか。その前に自分の育て方に問題がなか
ったのか。そこを反省する必要はないのか、どうして
も考えてしまうのですが」

 「探せばそれぞれの理由や背景はあるでしょう。で
も、タマネギの皮をむくような原因探しに今、何か意
味があるでしょうか」と五十嵐さんはにこやかに返
す。「回復していない依存症者の頭の中は、何とかク
スリを手に入れたい。そのために家族を巻き込みたい
という考えだけでいっぱい。連鎖をいかに断ち切る
か。今は突き放すことが求められているんですよ」

 プログラムは2カ月7回の講座だが繰り返し参加で
きる。メンバーは互いに顔見知りとなり、経験を語り
合いながらがら依存症の息子や娘、夫らにどのように接し、
回復を支えていくのか、それぞれの道を探る。時に
気持ちが高ぶって眼に涙を浮かべる出席者もいる。

 薬物依存に関する相談は、実際に家族・本人が全
国の保健所、精神保健福祉センターを訪れる場合で年
間9千件に上る。心の健康相談に応じる地域の専門機
関であるセンターは、国の 薬物乱用防止戦略で家族支
援の中核に位置づけられる。

薬物依存者を身内に抱えた家族の肉体的、精神的負担
は大きいが、国立精神・ 神経センターの尾崎茂・薬
物依存研究部室長は「家族のためだけでなく、本人の
立ち直りのかぎを握るという観点からもサポートは必
要」と指摘する。問題となるのは英語の「可能にする」
という意味からイネイブル(enable)と呼ばれる行動で、
「薬物依存が必然的に巻き起こす借金トラブルなどを
家族が尻ぬぐいし、気づかぬうちに乱用を手助けする
こと」という。
家族支援にも専門的な知識や経験が求められる。

 嫁いだ娘が突然逮捕され途方に暮れたという夫婦。
育児仲間から覚えたことも含め、薬物使用に周囲は全
く気づかなかった。家族教室に必ず出席する夫婦は
「毎回いろいろなことに気づかされながら、娘の立ち
直りを見守っている」と話す。 
  


Posted by 伝兵衛 at 09:55Comments(0)

2007年10月21日

窃盗はお金の被害を生むだけでなく被害者に恐怖心をも与える

窃盗の被害者の保護者さんは 「2-3万円返してもらっても 
報復されて 怪我させられたら無意味なので 家へ来ないで
ほしい。金は要らない」と言われた。

二人目の被害者の保護者さんは 言いにくいことなので 
やっと 3度目の 電話で 話してくれた。「盗み方が 
慣れていて グループで盗みの方法が 伝授されている 
ようにみえる。初めて盗んだとは思いにくい 
上手な盗み方をしている。
警察にチクッたから 捕まったという理由で グループとして 
仕返しされる ことも 考えられると 中学生の被害者は 
心底 心配している。
謝りたいというのは 加害者の都合である。謝ってほしいと 
頼んでいない。恐ろしいから 住所は おしえられない。
どうしても 謝りたいなら 家から相当 離れた場所へ
出向いて 保護者が 会うことは できる。家の近くで 
会ったら 家を 捜しだして 報復される危険がある」

私も恐ろしいと おもっているから まともな子どもさんの
親は なおさら 恐ろしいだろう。
恐ろしい子どもの親は どうしようもない 親だと 
思われているに違いない。
  


Posted by 伝兵衛 at 09:49Comments(0)

2007年10月20日

薬物と闘う⑥回復へ支え合う依存者@ダルク

日本経済新聞 2007年10月19日 夕刊

薬物と闘う⑥
回復へ支え合う依存者

広がる自助グループ活動

 アディクト(依存症者)のOOです」。三十歳代の
男性司会役の仲間に指名されて発言前にニックネー
ムを名乗ると、向き合って座った残りの出席者十三人
が元気づけるように、名前を一斉に繰り返す。

 再入寮という男性は語り出した。「以前、クリーン
(断薬)期間が一年ほど続いていたときも生きる楽しさを
感じられなかった。そういう窮屈さから逃れたくて、
スリップ(再使用)し、家族を失った」「今は落ちると
ころまで落ちた。これからは成長するだけだ。そう思
うと肩の荷が下りて仲間の 助けもできるように思う」
 
 民間自助グループの薬物依存症からの回復支援施
設、日本ダルク本部(東京都荒川区、近藤恒夫代表)
の入寮者が日課として開くミーティングの一幕だ。こ
の回は「仲間のサポート」がテーマ。

 午後2時から一時間半。8人がそれぞれの思いを語
 った。日本ダルクの現在の入寮者32人は20代から
70代の男性で年齢層は幅広い。経歴も入寮経緯、期間も
まちまち。ミーティングは批判をしないルール。
一方的に語るだけだからまとめもない。最後に手を
つなぎあって折りのメッメッセージに声を合わせる。
 このようなミーティング がダルクの中心活動。これ
は世界中の薬物依存者の自 助グループが回復の手だて
とする唯一の方法だ。

 薬物依存からの回復を目指す代表的存在が匿名の依
存症者を意味するNA(ナルコティクス・アノニマス)
グループの活動。米国でアルコール依存症のグループ
活動から発展し、さらに世界に広がった。そこで培わ
れた回復プログラムがミーティングの基本。依存症自
体は根治できなくても薬物のない生活を仲間の手助け
を通じて維持することができるという考え方だ。

 ダルクは自ら薬物依存に苦しんだ近藤代表が1985
年に都内で開設したのが第一号で、当初からこのプ
ログラムを導入、現在全国37ヵ所に広がっている。

 一方、日本でも家庭や職場を持ちながら薬物依存か
ら回復しつつある人たちが、教会や公的施設を借り
てNAグループのミーティングを開いている。団体と
して特定の施設を運営したりはしないし会費もカンパ
で運営される。公式サイトでは北海道から沖縄まで11
地区で127グループが活動している。

 せき止め薬の乱用に苦しみ、各地のダルクの入寮を
繰り返したが、今は六年半の断薬状態という日本ダル
クのスタッフ男性(34)は語る。「毎日仲間とあって
いるから続けられている」。
 自助グループの広がりは薬物依存脱却の難しさととも
に、それが可能であることを如実に物語っている。
  


Posted by 伝兵衛 at 08:46Comments(0)

2007年10月19日

薬物と闘う@女子刑務所・岐阜県笠松町

日本経済新聞 2007年10月18日夕刊

薬物と闘う 5. あふれる再犯者

刑務所、立ち直り支援模索

 岐阜県笠松町の女子刑務所、笠松刑務所で薬物の受
刑者から話を聞いた。八月。
居住棟は扇風機の夜間使用許可を二時間延長し記録的
猛暑をしのいでいた。

 五十七歳の受刑者は七回の有罪判決を受け、六回目
の入所だった。裕福な家庭に育ち、結婚し子供にも恵
まれたが、家庭がうまくいかず風俗店で働きだした。
体がきついと皆覚せい剤に手を出した。二十六歳で逮
捕され執行猶予判決。再婚し夫の店を切り盛りした
が、やめられなかった。

 眠れず食べられず、極端にやせ細る。中断、再乱用
の繰り返し。「家族で自分 だけがこんな人生。体力も
落ちた。今度こそやめる」
 
 働くことは嫌いでないし、刑務作業の班長などを
任されてきたという五十五歳の受刑者も六回目の人
所。児童養護施設の生活になじめず、身を寄せた親類
の養父はヒロポン時代からの密売人だった。
    
 しかし、自身の乱用が始まったのは家庭を持ち二人
の子供に恵まれてから。夫が働かず、経営していたス
ナックの出入り業者から譲られた。三十二歳で初めて
逮捕された。遠方に越し薬物を断ったが、関西に戻っ 
たところ、かつての薬物仲間に遭遇した。「夫側に引
き取られた子供のことは一度も忘れたことがない。も
う関西に近寄りたくない」

 二度目の事件で執行猶予が取り消された三十八歳の
受刑者。両親が離婚し、友人宅を遊び回るうち十六歳
で先輩から教わった。結婚し子供もできたが、やめら
れなかった。今の夫も受刑中。「夫は一緒に頑張って
クスリを断とうと言うが、二人の生活を忘れなけれ
ば。離婚を決心しました」

 若い継母が家でシンナーを吸っていたという三十六
歳の受刑者は中学生でシンナーを始めた。覚せい剤は
別と避けていたが、男友達に寝ている間に注射され
た。イラン人売人の周辺に近づき、小遣いをもらうよ
うに人手した。子供は三人。 「自分だけであがかず、
相談できるところに頼って立ち直りたい」

 「きっかけは様々だが、出所するときはみな真剣に
立ち直りを決意する。が、自分の意志で何とかできる
と考え、失敗してきた。依存症という病気の自覚がま
ず必要」と大森正所長。同刑務所は昨年から始まった
国の薬物離脱の指導プログラムにあわせ独自の短期コ
ースを並行させ対象の八割に受講させる。

 過剰収容が続く全国の刑務所で、三分の二が再入所
者である覚せい剤犯は罪種別で窃盗に次ぎ、女子では
トップ。薬物受刑者の回復策にようやく目が向けられ
つつある。

★ 和歌山刑務所へも 薬物依存者リハビリ施設ダルクが
行ってくれています。
  


Posted by 伝兵衛 at 04:24Comments(0)

2007年10月18日

薬物依存者リハビリ施設ダルク@井垣康弘弁護士

産経新聞 2007年10月17日 夕刊
連載 君たちのために 井垣康弘著
「薬物依存者への治療」

薬物(覚醒剤など)依存者のリハビリ施設「ダルク」の宣伝
をしたい。2回に分けて書く。 

覚醒剤使用は犯罪である以前に強固な「病気」であるようだ。
医学的治療も一部必要であるが、心理的治療が最も肝要で
ある。
 その方法として、「仲聞との話し合い」が決定的に大切であ
り、大きな成果を上げていることを知った。見学に行くと(誰
でも行けます)、3つのことに驚く。

 「ここまで 率直に自分の弱点を語れるのか」 
「ここまで トコトン、他人の話に真剣に耳を傾け続けられるのか」 
「ここまで 人は平等であり得るのか(今日から断薬を始める人も、
二十何年クリーンでいる人も、今日一日頑張ろうということで全く平
等だ、と皆が当然のように思っている)」ー の3つだ。

 覚醒剤の自己使用は、私が子どものころは合法的だった。
小学校の近くに住んでいた「ヒロボン(覚醒剤)中毒のお兄さ
ん」が絵描きで、目の前で馬の絵を描いて小学生にくれるの
で、人気者だった。私ももらった。

 覚醒剤の自己使用が「犯罪」とされた後、その処罰は「厳罰
化」の一途をたどっている。

 今、初犯は懲役1年6月・執行猶予3年だが、ほとんどの人が、
再犯する。執行猶予になった後、見つからないため
の工夫をするので、捕まる比率は100%ではないが、
「気の毒かどうかはともかく」様々な機会に発覚する。
交通事故の被害者になったときなどが典型的
である。そして、執行猶予中の再犯ということで、今度は、
懲役2年の実刑になるのだそうだ。前の執行猶予も
取り消しになるから、合わせて3年半刑務所に入る。

 3年半は辛かろう。子どもが中学生なら入学から卒業までの
間である。本人以上に、父母や妻子は辛い。家庭が崩壊してし
まうことも多い。しかし、懸命に本人の応援をしてくれる家族
もいる。弁護士になって、「息子にそこまで裏切られ、金銭的
にも精神的にも踏みにじられ、家族も崩壊しかかっているの
に、まだ支援できるのですか」と驚くが、「わが子ですから」
とキッパリ言う。親の愛に心底感心する。何とかしてあげたい
と思う。

 30年前、前橋地裁で刑事裁判担当だったころの話だが、その
ころ初犯は大体懲役6月・執行猶予2年が相場だった。執行猶
予中の再犯(再使用)の場合、懲役8月・執行猶予3年・
付保護観察程度がむしろ普通であった。ただし、事案によって
は実刑ということもあり、その選別が悩ましかった。月曜日に
判決予定の事件について、煩悶していた。

 悩みながら散歩に出かけたら、何と当該被告人(30歳くら
いの男性)が経営する店舗(小売店・お肉屋さん)の前を通り
掛かった。保釈中であったが、私は、被告人は実刑・収監を予
測して店舗を閉めて「悶々」としているものと思い込んでい
た。しかし、目にした光景は、全然別だった。  
(続く来週に)

★16日に 県庁主催 セルフヘルプ交流会で
和歌山ダルクの方に お会いしました。
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Posted by 伝兵衛 at 09:50Comments(0)

2007年10月16日

やまさきパソコン教室@和歌山市

このブログの主題は 色々 ややこしく 個人的な
事を あまり書く わけに いかず、新聞や 雑誌の記事を
スキャナーに かけて のせる ことが 多いです。

スキャナーの使い方は 標記の教室で 教えて もらいました。
30分ほどで。
先生は 恐ろしくなく シロートの質問を 軽蔑せず
たいへん 親切です。
授業料も 安かったです。

頼まれもしないのに 宣伝いたします。
教室について 下記サイトを 見てください。
http://www.eonet.ne.jp/~yama-pc/
  


Posted by 伝兵衛 at 12:40Comments(0)

2007年10月11日

少年院退所の後。

産経新聞 2007年10月10日夕刊
井垣康弘 弁護士の連載 「君たちのために」 

”母の力が呼び寄せた縁”

ひったくりを30件も行ったため鑑別所に入れて、中等少年院
へ送致した16歳の高校中退生の話の続きである。
 少年が清書した「おわびの手紙」は、調査官と付添人弁護士
の助言も多少効いて、まずまずの出来栄えであった。お母さん
が、この手紙を持って被害者の方々の所を回ってくれることに
なった。
 書記官が、被害者30人の名前、被害の日時と場所、被害金
額(幸い、金銭だけを抜いたバッグは現場付近で発見され被害
者に返っていたので、弁償すべき金額は平均1万円にとどまっ
た)、被害者の携帯電話番号の一覧表を手渡した(住所は教え
ない)。
 お母さんは、被害者方に電話して予約をとり、大体1週間に
1件のペースで、約半年で全員にお目にかかることができた。
そして、その度に少年に手紙で詳しい内容の報告を書き送って
いた。
 後日、私が担当裁判官として少年院へ動向視察に行ったと
き、この手紙の束を見せてもらったが、圧巻だった。
 最後の30件目の被害者がたまたま建築関係の親方の奥さん
で、少年と同じ歳の男の子(高校生)がいて、親身になって、
2時間も話しこんでくれた。1人息子が突然 少年院に入れられ、
その後親が半年掛かりで 一軒ずつ謝りに回らねばならない
とは何とお気の毒なと一緒に泣いてくださった。
 そして最後に、少年の人生の目標が職人と知るや、「うちの親方
 (夫)に頼んであげる。若い子を育てる達人で、今、3年・5年
・7年・10年・15年の5人を雇っているが、皆親方が四苦八苦
しながら面倒を見て、技能も優秀で人柄も良い職人に育て
上げた。その結果うちのチームは業界で評判が高く、仕事の注
文が途切れない。親方の指導力も高いし、先輩の職人たちも
 (技能と収入の両面で)具体的な目標となるので、きっと成功
する。寮があって、地元と50キロは離れているから、不良仲間と
縁を切るのもたやすい」といってくださった。
 その後、親方から電話があり、「裁判官の指示があったと
はいえ、実際に30軒おわびに回るほどのパワーのあるお母さん
の息子さんに興味がわいた。家内と一緒に少年院を訪れて少年
と会ってみたい」とのこと。母親の意見として、親力の奥さん
はとても感じのよい人なので、面会にきてくださったらぜひ
 「よろしくお願いいたします」と頼むように、と書かれていた。
 私は少年に、「この話には乗ってごらんなさい。そして、お
世話になることに決まったら、いったん親元(地元)に帰ると
いうことではなく、少年院から真っすぐ勤め先の寮に入るよう
にしなさい。そして将来一人前の職人になり親方になったら、
今度は、親方という立場で少年院の子どもに面会に来てやって
ほしい」と励ました。
 そして、書記官から母親に電話してもらい、予約して親方夫
婦と一緒に少年院に面会に行くようにお勤めした。(弁護士)

  


Posted by 伝兵衛 at 13:58Comments(0)

2007年10月10日

少年犯罪の終着駅・少年刑務所/少年院@ドイツ

マヌエルは母親に施設に入れられたのは9歳の時だった。
その後 8年間に 10の施設・グループホームを たらい回しされた。
ついにハンブルクで 最も危険な少年ギャングとして 新聞の大見出しになった。
母親も 役所も 無力だった。なおざりにされた 少年支援政策の結果だった。

教育しにくい子どもが 犯罪者になってから たいていの場合 やっと
ドイツの役所は 行動をおこす、と ベルリンの社会事業カトリック単科大学の
教授・少年の権利の専門家 Christian Bernzen は言う。
児童青少年援助システムは 崩壊の危機にあると 
ドイツの子ども保護協会の会長は言う。
青少年関係の役所は 財政難で、人手不足である。政治は 子どもの保護を
まともに 受け止めていない。
2006年にドイツで 18歳以下の犯罪被疑者は 278447人いる。
その内 67000人近くは 傷害罪である。ベルリンで しばしば 
警察に捕まった青少年は 429人で、ハンブルクは 650人だった。
マヌエルはその内の一人。

マヌエルは 1989年生まれ。既に 両親は 離婚していた。
父親は エクアドル出身だった。父は 養育費を 払えなかったので 
母親は養育扶助を受けた。その後 母は 掃除婦として働いた。
少年局の書類によると:
マヌエルは 母親から 酷い虐待を受け、酷いトラウマを負った。
乳児期から 母親の彼氏から 多くの暴力を受けた。3歳の時 
2階の窓から落ちたか 落とされた。極度の養育放棄だった。

しかし 当時の少年局は そういう状況を理解できなかった。
役所の介護人は 一度も マヌエルと母親を 訪問していない。

マヌエルは 4歳半の時 手首を切るか 電車に飛び込もうかと
思った。この危機的な時期に どもるように なった。
保育担当者を殴った。母親は 養育相談所へ 行くと 約束したが、
母は そこで 相手にされなかったと 主張している。
段々と 彼の 行動は 激しくなった。幼稚園で 先生を 
ナイフで脅した。学校へ 入ると 同級生から盗んだ。
授業は よく休んだ。先生は 母親に 手紙をかいて、
マヌエルは 嘘をつき、盗み、腕を振り回すと 伝えた。
家で 殴られて いるとは 誰も 気が付かなかった。

9歳の時 教会のガラスを 叩き割ろうとして、警察は 彼を確保した。
殴られるから もう 家に帰りたくないと 警察に 言ったが 
それでも 警察は 彼を 家へ 戻した。ところが 母親は 
彼を受け入れなかったので 彼は 施設に入った。
その時 少年局は 里親を見つけようと したか どうかについて 
役所は 答えない。

施設で マヌエルは 日常活動を マヒさせた。屋根に登り 
飛び降りると脅した。夜は何時間も 職員は 彼のベッドの 
そばで 寝入るまで 付いていなければならなかった。
後で 彼は職員に 語ったところによると、家では 
暴力しかなかった。耐え難かったので 死にたかった。

少年局は 問題児を 田舎の施設に 送りたがる。
田舎で 落ち着いて 暮らすという 理屈である。

マヌエルは 別の施設に 送られ そこで 一人の女性職員を 
信頼するようになる。どもりも 無くなった。12キロ太った。
毎日 学校へ 行くようになった。それは 14歳まで続いた。
その職員が 退職を申し出たと 聞いて マヌエルは 頭にきた。
車の修理工場へ 押し入り 車を盗んだ。現行犯逮捕され 施設は
追い出された。
母親は 彼を受け入れなかったので 2004年に 治療教育施設へ 入れられたが、
8週間で追い出された。難しい少年は 施設を たらい回しされる。
たらい回しは 金が かかるだけで、何の効用もない。
ケースワーカーは 子どもへの援助の計画を 考えなければならない。
援助計画の中には 里親のもとでの 養育も 選択肢として 含まれる。
しかし 2004年5月に 共同グループホームに入れられることになった。
半年そこで 暮らした。殴り合い 家具を壊し 職員を侮辱し 
自殺すると脅した。
2004年10月に 教会の献金箱をこじ開けようとして、
オルガン奏者に見つかり 捕まった。
共同ホームの屋根に 登って 石を投げ スコップで 責任者を脅した。
入所者の一人の少年に ビニル袋の中に ウンチさせて その袋を振り回した。
それで また 追い出された。2004年11月にハンブルクに戻り 2005年1月に
ハンブルクの共同ホームに入った。
そこで 2室から成る一区画を 与えられた。
彼は ニコというケースワーカーを 信頼するようになり 久しぶりに
気持ちよく生きられた。その時 15歳。「それまでに 経験したなかで 
一番よかった」と 少年局の職員に 話していたが、それでも 学校へは
行かないし、うろつき回って 犯罪を犯した。
もう一人の教育困難少年と 一緒に 家に押し入り 33万円の
ディスプレイを盗んだ。この頃 彼は10回以上 警察に通報されている。

マヌエルはまた 別の少年ホームに移った。
2005年7月に 16歳の誕生日の直前に スポーツカーを襲った。拳骨で
車の持ち主に 殴りかかり、キーを奪った。車を始動できなかった
ので 逃げようとした。通行人が 彼の前に 立ちはだかったので
殴った。その後 逮捕された。
精神科医は 彼を 隔離施設(少年刑務所)に入れることに
賛成した。家庭裁判所は 彼を 少年刑務所へ 入れるように
命令した。すべての援助が 失敗した時 ハンブルク市は 少年
犯罪者を 人の背よりも高い塀の中に 入れることに している。

マヌエルの母は 彼を少年刑務所に入れることに 同意した。母は
向精神薬を使うことにも 反対しなかった。

なぜ 幼い頃に 殴る母親から 養育権を 取り上げなかったのか
は よく 分からない。

少年刑務所で 彼は 誰とも 接触が なかった。職員や入所者を
脅し、騒いだ。「檻の中に 入れられているような 気がした」と
彼は 後で 言った。
監視付きの外出の時 どこかへ 逃げ、4週間後に 自分で戻って
来た。戻って来るのと 引き換えに 「自由に外出できる ように
なって 外で 実習をしたい」という要求をした。

「外国人労働者の市民活動グループ」が 職業準備教育を 約束
したが、社会福祉の役所は 認めなかった。彼は グループで働く
能力はないし、人を脅し 暴力的幻想をもっているから という
理由だった。
それで 少年刑務所に留まることになった。

2006年5月に 彼は虫垂炎で手術した。ホームの職員が 彼を
病院へ 連れて行った時 彼は 騒いで 警察が来た。
手術後 かってに 退院し、ホームに戻ったが 傷が開いてしまって
精神科の 閉鎖病棟に入れられた。
その2-3日後 少年局は 彼を 別の 施設に入れた。

6月に別の事件で ハンブルク裁判所に出廷した。
ハンブルクの高層ビルにある 少年支援アパートに彼を収容
することになった。
そこでは 時間単位で ケースワーカーは 来ては 去り、
夜のあいだ 彼は 一人だった。

彼はある男と一緒に ほっつき歩いていた 9月のある夜
2時頃 バスに乗ったところ、Stephanが 座っていた。Stephanが 
バスを 降りた時 彼らも 降りて マヌエルの連れの男は
威嚇射撃用のピストルを Stephanに 向け、携帯電話と金を
出せと 脅した。マヌエルは バスに備え付けの 緊急用
ハンマーで 殴りかかり 倒れたStephanの 両膝を ハンマーで
たたき 両足を骨折させた。

この事件は 大見出しで 新聞に報じられた。
マヌエルの母親は 謝礼を とって 取材に応じた。
母親は 知的な印象を与えた。何とか暮らして いくのに
掃除婦として働くのでなく、別の人生が あったのではないか
という気持ちにさせる 雰囲気を もった女性だった。
彼女は 言った:「父は アル中で いつも 殴られていた。
父にも 男(夫?複数)にも 殴られていた。」
まるで 天気が悪いとか 良いとか 言うように 淡々と
話した。息子 マヌエルについて 「厳しいことを 言うようだけど、
もう 何の愛情も感じない」。
しばらく 間をおいて 付け加えた「ペットを飼っていて 今は
ペットのために 生きてます」

永続的な準拠人格(特定個人の 人格形成において 規範・準拠
の役割を果たす人物)(レファランス パーソン)のもとに
この少年を 置くのでなく、この子を 移動サーカス団に 入れた
のではないかと ハンブルク市議会の 議員は言う。

マヌエルの弁護士は 言う:「役所は この少年を 幼い頃から
拒否してきた。彼を 助けないで 管理しただけだ。そういう
無思慮が マヌエルのような 犯罪者を 生む」。

Stephan 襲撃事件によって 彼は 2年の刑に服する。
事件から もう 1年以上たって 刑期はあと1年。
母は 面会に来ない。50ユーロ(1ユーロ=160円)を送ってきた。

侘しい面会室で 記者の問いに 答えてくれた。
人生で 何が うまく行かなかったか? という問いに
答えた:「母は いつも 働いていて ヒマがなかった。
いつも 男を 取り替えていた。いつも 殴られた」
「将来の計画って? 十年たったら、娼家を 開きたい。
堅気の道は もう 行けない」。

下記サイトから:
http://www.stern.de/politik/panorama/:Kriminalit%E4t-Endstation-Jugendknast/599539.html
  


Posted by 伝兵衛 at 22:40Comments(0)中欧事情

2007年10月07日

高校生の謹慎処分/窃盗による

中学の間は 博打で下役から 1週間に 数万円 取り上げて
ばれても、動いた金は2千円の遊びだったと 言えば 済むし、
万引きは 現場で 押さえられない限り 警察は なにも 
できないらしい。
自転車泥棒は 登録番号から ばれる こともあるけれど、
ばれても 何の 罰もないし、更正のための プログラムも
ない。

高校生の場合 自転車窃盗が ばれたら
家庭裁判所送りになり、学校からは 謹慎処分が 言い渡される。
自転車の後輪に 固定されている ワッカの鍵を あける技術は
非行グループで 伝授されて いるようで 簡単に あけられる
ようです。
謹慎中は 家にいないと いけない。もし出かけた 間に 生徒指導の
先生が 来てくれたら、また 謹慎期間が のびる。
家で 生徒手帳に 書かれている 規則などを 書き写す作業を
毎日する。
このヒマに 遅れてしまった 勉強をして、しなかった夏休みの
宿題もしたら 進級できる かも しれんのに、と 思うけれど
そういう事を する気配は ない。

窃盗を するに至った 経緯は 複雑なので ここに 書けない。
学校の規則を 書き写すのは 書道の 練習になるけれど、
犯罪の抑止には どうも なりそうにないと 思う。

それで 検索エンジンで 高校生の謹慎処分 について 捜して
みたら、
喫煙した高校生の 謹慎処分に ついて 次の記載が 見つかった:

>>どこかの市町村ではl高校生に謹慎処分をするよりも
禁煙外来を受診させているところがあると聞いた。
... 使う期間や量についてはまだ根拠がはっきりしていないが、
謹慎だけではまた再発する可能性もあり、 ...>>>

窃盗も 謹慎処分だけでは どうも 効き目は 少ないような
気がします。
中学には スクール カウンセラーさんが いてくれた。大学院で
心理学を 勉強された方だった。
高校にも カウンセラーさんが いるなら、 16年 ナンギしてきた
この子の 話しを 聞いてくれないだろうか。
  


Posted by 伝兵衛 at 17:23Comments(1)

2007年10月04日

少年院・鑑別所とその後/保護観察所

産経新聞 2007年10月3日 夕刊から

「君たちのために」 井垣康弘弁護士:

以前に、3ヵ月で ひったくりを 30件も 行ったため 鑑別所に入
れていた 中学3年生の ケースを書いた(6月27日)。第一回審
判で釈放し、母親と一緒に 各被害者一人ひとりに 謝って回ら
せ、少年に 報告させたところ、母子で 連日頑張り抜いた 結果、
 「もう お母さんを 泣かしなや」と被害者から しかられつつも
励まされ、1ヵ月で 母子とも 大変な勉強を したことが分かり、第
2回審判で 安心して 「不処分」にした。

 今回は、同様に ひったくりを 30件も 行ったため 鑑別所に入れ
ていた男子。母子家庭と いうところまでは 同じだが、1つ歳上
の16歳の 高校中退生で、この子の 場合は、中等少年院へ送致し
た(期間は1年)。
 この少年は、高校を中退して、アルバイトは するものの、
毎晩 地元の多くの 不良仲間と 群れて楽しく 遊び暮らしていた。
すると 遊ぶお金を 稼ぐため ときどき 「ひったくり」を行う 必要
が生じる。そういうとき、この子は 率先して 「やろうぜ」と言
いだし、中心に なって実行し、分け前は 平等にしていた から、
仲聞から 「根性ある」と 褒めたたえられて いた。従って、不良
仲聞こそが 何よりも 心地よい居場所だった。

 このような少年を 立ち直らせるには、別の居場所 を与えなければ
ならない。この子は 「建築関係の職人に なりたい」という 希望で
あったから、少年院を 出るまでに、地元以外の 場所で「見習い」と
して 雇ってくれる ところを 探す必要が あった。これは 保護観察所
の仕事=守備範囲で あるが、どこまで やれているか 甚だ 心許ない
ことは、後で述べる。
 審判で、少年に対し、「ひったくりの  被害者の方々へ のおわびの
手紙を書いて、調査官と 付添人にみてもらい、助言を 聞いて手直し
して 清書し、お母さんに ことづけなさい。お母さんが、君の手紙
を持って 被害者の方々の ところを回って くれる とのことです。
少年院へは、君に 建築関係の資格を 取らせてやってほしいと
勧告しておくが、努力せよ。書記官と 一緒に1度 面会に行くから
頑張っていてくれ」と告げた。

 このように 動向視察に 行くと 約束しておくと、立ち会ってい
る鑑別所の職員が 少年院に その旨 連絡するらしく、実際に行く
と、院長が 「お待ちしていました」と ニコニコ顔で 迎えてくれ
る。聞くと 「他の裁判官は ほとんど見えないのが 残念だ」とのこ
と。少年から 各裁判官に 「来てください」との手紙を 出させた
らどうかと 水を向けるが、「そんな失礼なことは:・」と渋る。

 少年の 更生のために 役立つなら 何でも 臆さずに 試みる 
べきだ。少年院に 眼らず、関係機関は、「他の機関に干渉する
なんて トンデモナイ」と 思い込んでいる。お互いの 守備範囲から
片手を 差し出して、隣同士 手を握り 合えば、随分 少年のために
なるのに、「摩擦」を おそれて、むしろ 守備範囲から 片手分 引っ
込んで、隣との聞に わざと「すき間」を 作っている。トラブル
回避の 「役人根性」だ。情けない。 (おしまい)
  


Posted by 伝兵衛 at 14:09Comments(0)