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2008年01月17日

「30年目の手紙」が示すこと/井垣 康弘

君たちのために 産経新聞 2008年1月16日 夕刊から抜粋
       
 家裁の部内誌のような「ケース研究」第267号の巻頭言に
「30年目の手紙」との随想が載った。筆者は、当時の最高裁判
所事務総局家庭審議官の坂梨壽弘さんである。面白いので、以
下に紹介する。
       ◇
 ----調査実務から離れて久しく一抹の寂しさを感じていたと
ころ、新任時の家裁からメモが届いた。坊さん風の人が来庁
し、かつて世話になった調査官に会いたいと言ったと記され、
氏名が付記してあった。

 彼は14歳から幾度となく家裁係属を繰り返し家裁の処分を総
なめにした少年であった。小柄で童顔ながら負けん気が強くて
理屈っぽく、言葉尻をつかんではけんかを仕掛け、暴行や傷害
事件を引き起こすのが常であった。再犯事件の調査のたびに、
私にも議論を吹っ掛け、聞き流そうとするとわざと感情を逆な
でして挑発し、まともに対峙(たいじ)しないと納得しなかった。
その揚げ旬、肩で風切る街の一匹おおかみに成長していった。

 私は少年の再犯記録を手にするごとに失敗感と無力感にさい
なまれ、少年にも裁判官にも力不足をひそかにわびた。少年
は、成人間際に来庁し「自分の青春は調査官ととともに
あった」と名残惜しげに言い残して去った。

 それから30年後の再来庁。こちらから電話したところ次の
ような手紙が送られてきた。
 成人後はヤクザとなって頭角を現し、暴力団抗争の矢面に
立った。抗争中、のど元に止めのI刺しを受けたが九死に
一生を得た。服役中、命を救ってくれた医者の「お前に
は、何か仕事をし残してまだ死ねないでいる人の生命力を
感じる」という一言の意味を考えた。

 「いつかはきっと立ち直る」 「非凡さを生かせ」など
の調査官の言葉をも思い起こした。それでも出所後は
暴力団に戻って幹部となり、ナンバー2に上り詰め、
左うちわで過ごせる地位についた。

 45歳でふと、医者や調査官の言葉を思いだし、生きる意味を
求めて僧侶となることを決意し、厳しい修行に打ち込んだ。
3年経って寺を持った。そして、山籍りの長期の寒中修行は
毎年写真入りの新聞記事となっている。この30年間何回も家裁
へのあいさつを思い立ったが、調査官への迷惑を懸念して遠慮
した。今やっと吹っ切れて訪問した。

 彼は、「自分が岐路に立ったとき、調査官のいちずさが道し
るべとなった」と言う。次々に期待を裏切り、私を失意に陥れ
た少年であったが、未熟な調査官であったればこその、少年に
向かう精いっぱいの気持ちだけは確かに受け止められていたこ
とを、30年の時を経て知ることとなった。手紙を読むうち、人
の更生とは何か、家裁での失敗事例とは一体何をいうのか、少
年事件での保護的措置の本当の意味は何なのかなどを考えさせ
られ、長い目で見ることの大切さに気付かされた。

 かつて、少年であったこの僧侶は、「調査官は私の人生の心
の在り力に影響を与えた数少ない人間の一人です」と書いてい
るが、彼もまた、私にとって家裁の仕事が何なのかを教えてく
れる数少ない人間の一人となった----。    (弁護士)


Posted by 伝兵衛 at 16:04│Comments(0)
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