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伝兵衛
伝兵衛
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2008年05月27日

麻薬依存症者が依存症支援者になった

★別のブログにのせたのを転載します。同じ管理人
なので 無断転載でないです★

モーニカは Ostholsteinで麻薬依存症患者の支援
活動をしている。
若い頃 自身も依存症者だった。娘も依存症になった。
今モーニカは学校でも啓発活動をしている。

1996年 当時41歳の時 母の日に長女クリスティナ25歳
から 麻薬をしていると告白された。クリスティナは素敵な
子で 地元の進学高校へ行ったのに。

母モーニカは12歳のときハシシュを試した。その後マリフアナ
入り煙草をしばしば吸った。LSDのような強い薬もやった。
モルヒネをうち、アヘンも吸った。時々 戦慄の幻覚体験・欝・
迫害妄想に苦しんだ。
グループの少年と付き合ううちに妊娠し、15歳で
クリスティナを産んだ。赤ちゃんの父は子どもの面倒を
見なかった。モーニカの父親がカトリック教会の福祉団体
カーリタスに相談した。カーリタスは直ぐに彼女を麻薬治療
施設に入れる手配をした。そこで14ヶ月過ごし、
麻薬を絶ち、料理人助手として 初めて職に就いた。
その町で 工芸職人カルルと知り合い 結婚し、
3人の子どもを産んだ。

娘クリスティナはコックをしているMarkusと知り合った。
そのうちにマルクスの様子がおかしくなり、ヘロインを買う
ために薬を売っていることが分かった。家族全員で
治療を受けることになり、子どももクリスティナも一緒に
3人で 医師と心理臨床専門家の監督する施設に入った。
17ヶ月後にマルクスは良くなり、退院した。ところが
彼はまた麻薬をやり始めた。モーニカが今になって思う
ことは、クリスティナはマルクスに依存し恋に狂っていたのだ。
ひょっとしたらクリスティナは麻薬によって彼の世界に
入り込み 彼の身近に居たかったのだ。治療を受けて
いる間に麻薬常用者の魅力に引き入れられて
しまったのかも知れない。
あの母の日の頃 彼女は日に20も注射を打っていた。
親は 麻薬依存症と衰弱を認めようとしないので、
中毒の人のために全てをしたがり、自分も破滅する。
それでモーニカは他の親との接触を求め、1997年に
親の会を作った。麻薬と麻薬依存症患者との適切な
対話について学ぼうと思った。

しかし クリスティナはだんだん悪くなっていった。歯は
ほとんど抜け落ち、体中に膿瘍ができ、髪の毛は
抜けた。脳卒中を起こし、C型肝炎にもなった。
モニカは娘とその夫を メタドン・プログラムに参加させた。
これは医師の管理する代替麻薬である。

モーニカは駅や公園で麻薬依存症者に話しかける
ようになった。
それに並行して、2000年5月に 麻薬支援協会を
作り、依存症者の家族のために無償で働いている。
この協会には州と二つの地方自治体から補助が
でている。ライオンズとロータリークラブからも援助を
受けている。
モーニカは学校を回って啓発活動をする他に 週に2日 
月・水曜に 役所で麻薬依存症者に助言する。
夜にも 必要なら 麻薬依存症者のところへ出向く。

クリスティナは薬から抜けたが 彼女のグループのうち
5人はもう死んだ。
クリスティナはマルクスと別居している。彼はまだ
麻薬を止められない。
下記サイトから:
http://www.stern.de/wissenschaft/mensch/:Drogenabh%E4ngigkeit-Von-S%FCchtigen-Helferin/619288.html   


Posted by 伝兵衛 at 18:49Comments(0)