QRコード
QRCODE

和歌山の情報発信
ブログポータル

ログインはTOPページで
私も作ってみる


[PR] 和歌山情報ブログでチェックイコラブログ
[PR] 商品ページ1ページからリニューアル!!楽天ヤフーOK!現在キャンペーン


アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 4人
プロフィール
伝兵衛
伝兵衛
オーナーへメッセージ

2008年05月11日

「鏡像」が見えない少年たち/神谷信行

 少年事件の付添人を務める時,私との対話の中で、
少年は自分自身の姿に気づいていくが、その時、
彼と私は「映しあう鏡」になっている。

 この鍵像は、宮洋賢治においては「インドラの網」
という表現になる,「インドラの網」とは帝釈天の網
のことである。帝釈天の天宮には目に見えない
スペクトル状の網がかかっており、その結び目には
幾多の宝珠がついている,一つの宝珠には隣の
宝珠が映る.。映された宝珠にはさらに隣の宝珠が
映り、全ての宝珠は相即相入の関係にある.これは
「一即多、多即一」この華厳的宇宙であるが、
臨床現場ではこれを「コンステレーション」と呼ぶ。
 コンステレーション(星座)は臨床上「布置」と訳され、
ある人をめぐる人、物、出来事、時の経過等の配置
を意味する。この布置を詳細に観察し、配置の変化を
丹念に跡づけているうち、不適応状態にある本人が
立ち直っていく。

 統合失調症の患者の方には、鏡に映った「鏡像」が
見えない例があるという。

 「うつ」「引きこもり」「解離」が広まっている現在、
自分の「生きる意味」や「生きている実感」を喪失
している少年が多数存在する。重罪を犯す根底に、
自分の価値の否定・不発見があり、それが他者の
価値の否定へと飛躍し、さらに拡大自殺的に他者を
巻き込む形での重大事件が起きる。昨今世間
を騒がせている、「自殺」のかわりに他者を殺す
事件はこの例に他ならない。

 自分の価値を否定している少年と関係性をつなぎ、
彼の姿を映す「鏡」になるには、相当の時間と忍耐、
そして精神療法的手立てが必要である。神戸事件の
少年については、元担当判事・井垣康弘氏の著書
『少年裁判官ノオト』(日本評論社)によってケース
報告されているが、医療少年院スタッフとの間に
関係性ができるまで約二年半、母との対話が復活
するまでに四年以上の時がかかっている。
 今や、法律家、精神医療、心理臨床のスタッフが
協働しないと「映しあう鏡」を形成できない時代に
入ったのである。

 「生きる価値の喪失」とは反対に、「万能の自分」
という肥大化した自我が「鏡」に映ることも多い。

様々な姿を「鏡」に映す時最も重要なことは、
私白身が「自己愛」を断ち落とさせられる修練を
へていることである。私自身が 「自己愛まみれ」に
なっていたのでは、相手方と共依存する陥穿に落ち、
事案は解決に至らない。
  この修練において座右銘としているのは、
道元禅師の次の有名な言葉である。
 「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己を
ならふと いふは、自己を忘るるなり。自己を忘るる
いふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるる
といふは、自己の身心および他己の身心をして脱落
せしむるなり」(道元「正法眼蔵』「現成公案」)
   私はこれをこう訳している。

 「仏の道を学ぶということは、自分自身を知ると
いうことだ。自分自身を知るとは、自分自身を忘れる
ことだ。自分自身を忘れるとは、この世の全ての
存在に支えられて自分があるということ、
つまり『コンステレーション』や『インドラの網』を
明瞭に見せられることだ。そのような状態となれば、
自分の身心も相手の身心も脱落してしまい、
ひっかかるものがなくなって、互いに「映しあう鏡』と
なるのである。」
 相手の「鏡」となることは、布置の中で生かきれて
いる自分を知るということと全く同義なのである。
                     ‐
かみや・のぶゆき▼1954年生まれ。弁護士。

月刊「春秋」2008年5月号p10-12から 抜粋

★児童養護施設の経営者さまの一部の方には 
”法律家、精神医療、心理臨床のスタッフが
協働しないと「映しあう鏡」を形成できない時代に
なった”と言うことを 受け止めて いただいて
無償で 寄付までして 経営しているという
思い上がりから 抜け出ていただきたい。
  


Posted by 伝兵衛 at 16:50Comments(2)