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2013年05月25日

ヒロポン(クリスタルメス)75年の歴史と現状(下の一)

戦後も この薬は 闇市場で、あるいは処方薬として 
容易に入手できた。医師は これを食欲を抑える薬と
して あるいは 鬱の際に 気分を晴れさせる薬として 
処方した。学生は 試験前に夜通し勉強するために 
これを飲んだ。
多くのスポーツ選手は これで痛みを抑え、同時に 
能力と耐久力を伸ばした。ボクサーのヨゼフ・ユップ・
エルツェは 1968年にノックアウトされて そのまま死んだ。
彼は 頭を150回 殴られて 倒れた。この薬を飲んで
いなかったら、もっと早く倒れて 死ななくて済んだだろう。
しかし この事件の後も 市場にメタンフェタミンは流通した。
これを開発した製薬会社 Temmbr-Werke は60年台に 
東独と西独の軍に これを供給した。やっと70年台に
なって、西独の軍は この薬をやめた。東独の軍は 
1988年にこの薬を禁止した。
アメリカでは メタンフェタミンは副次的な現象に留まって
いた。しかし 70年台の後期から ヘルズエンジェルスの
ような オートバイ乗りのグループが クリスタルメスを
収入源として認識するようになり、麻薬合成所を大規模に
造り始めた。彼らの市場は 西海岸だったので 問題も
西海岸に限られていた。
1980年台中頃に 化学者 Steven Preisler (筆名を
アンクル・フェスター)が「メタンフェタミン製造の秘密」と
いう案内書を出版した。原料は すべて合法のものであり、
主成分は 咳止め薬から 単純な化学反応により 抽出
され、これを 効果を増強する液体に混ぜる。製造の場は 
アパート・無人の山小屋・ホテルの一室などだった。
(続く)
下記サイトから:
http://einestages.spiegel.de/s/tb/28487/von-pervitin-bis-breaking-bad-die-karriere-der-droge-crystal-meth.html
ヒロポン(クリスタルメス)75年の歴史と現状(下の一)
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Posted by 伝兵衛 at 15:43│Comments(0)薬物依存症
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