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伝兵衛
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2013年09月29日

刺青inポリネシア(中)

今 仏領ポリネシアでは 住民の60%以上が入墨をいれている。
Alphonse は19歳のときに初めて入墨をいれた。足首・腕・大腿に
入れている。これらの入墨は 彼の系譜を示す。すなわち 彼の
父は漁師であり、治療師であったことを示し、出身地の島は
どこかを 示す。「自分は どこの出身で、何ものであるかを
入墨は示す。自己意識の一部である」と彼は言う。
人生の節目になる大切な出来事は 入墨の絵として彫られる。
(つづく)
ここまでは下記サイトから:
http://www.stern.de/reise/fernreisen/tattoo-kult-in-polynesien-wunden-schlagen-in-der-suedsee-660784.html
ここから先は下記サイトから:
http://www.stern.de/reise/fernreisen/2-tattoo-kult-in-polynesien-wunden-schlagen-in-der-suedsee-660784.html
しかし仏領ポリネシアで 約160年間 入墨は ほぼ
完全に消えていた。フランスの宣教師が 伝統的な
踊り・歌・儀式を禁止したのだ。
学校の授業はフランス語でされた。
 約25年前に 入墨は復活した。1982年にHeivaという
文化祭を契機に サモアの芸術家が 仏領ポリネシアの
首都パペーテの大通りで自分の入墨を人々に見せた。
途絶えないで続く文化が 再生することを示すものとして 
入墨は存在することになった。
 入墨という古いシンボルが再発見されたことは 部分的
には ドイツ人の医師で人類学者だった カルル・フォン・
デン・シュタインのお陰だ。彼は 19世紀の終わりに 
ベルリンの民族学博物館の委託をうけ、マルケサス
諸島へ行った。ここは 仏領ポリネシアの北東にある。
マルケサス諸島は 孤立していたので、入墨は 
他よりは永く保持されていた。(つづく)
刺青inポリネシア(中)
写真 by SACHI

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Posted by 伝兵衛 at 15:56│Comments(0)入墨
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