2011年09月09日
『苦悩する人間』ビクトール・フランクル
川原理子 ”生きること”月刊「春秋」2011年8/9月号 p.1~4.
から抜粋:
★苦悩を共にすることはできるのだろうか。
ビクトール・フランクル『苦悩する人間』(山田邦男・松田美佳訳、春秋社)の
最後に、「苦悩する隣人」に触れた下りがあった:
苦悩することが意味に満ちているのと同じように、苦悩を
共に遂行すること、共に苦悩することも意味に満ちています。
それは、同じように意味に満ちていると共に、また同じように
無言なのです。言葉をかけることには限界があるのです。
どれほど言葉を費やしてもまだ足りないところでは、
どんな言葉も多すぎる。★
写真は ダルクの百日紅
(「さるすべり」を変換したら こんな漢字になった。ダルクから
50メーター南の空き地に 百日紅が生えてくるのは この木の
種を鳥が 運んできてくれるからなのだ。
百日も咲いてくれるなら 来年から 抜かないで おこう)
から抜粋:
★苦悩を共にすることはできるのだろうか。
ビクトール・フランクル『苦悩する人間』(山田邦男・松田美佳訳、春秋社)の
最後に、「苦悩する隣人」に触れた下りがあった:
苦悩することが意味に満ちているのと同じように、苦悩を
共に遂行すること、共に苦悩することも意味に満ちています。
それは、同じように意味に満ちていると共に、また同じように
無言なのです。言葉をかけることには限界があるのです。
どれほど言葉を費やしてもまだ足りないところでは、
どんな言葉も多すぎる。★
写真は ダルクの百日紅
(「さるすべり」を変換したら こんな漢字になった。ダルクから
50メーター南の空き地に 百日紅が生えてくるのは この木の
種を鳥が 運んできてくれるからなのだ。
百日も咲いてくれるなら 来年から 抜かないで おこう)
Posted by 伝兵衛 at 09:11│Comments(0)
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