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伝兵衛
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2014年09月14日

菊池章子「岸壁の母」or 中国に行かされた日本兵

時々 小学生二人をカラオケへ運びます。たいてい耳栓をして
昼寝してますが、まれに「おじいちゃんも歌え」と言われて
大昔の歌を歌う。
https://www.youtube.com/watch?v=Pv2-PmE0O-I
この歌の元になった兵士は 中国大陸に生き延び、そこに
家庭をもって 日本に帰らなかったのだそうです。学徒
出陣の方々と同年輩だった。叔父と同じくらいのお歳です。

★丘の東に住む 知人が アパートを持っていまして 和歌山
医大の中国人留学生などに 半分の家賃で貸してくれていました。
10年ほど前には ポーランドから来た女性3人にも 安く貸して
くれました。普通、ポーランドから来る女性は JR和歌山駅の
近くで 水商売をしている方なので たいていの家主は 
安くは貸しません。なぜ これほど 外国から来た人たちに 
安く貸してくれるのか 長いあいだ、分からなかったのですが 
数年前、その家主さんは 話し してくれました:
十代のころ 商船学校をでて、戦争中なので 軍属として マレー、
インドネシア方面で 輸送の仕事をしていた。船を3度 沈められ 
3回目は 1944年に沖縄で沈められ 本土に送られた。お陰で 
1945年の 沖縄の戦闘をまぬがれ、生きて帰れた。船乗りだった
から 機械を作ったり 修繕したりする仕事は繁盛して、戦後
まだ 荒地の多かった 近くの土地を買って アパートを建てた。
彼のお兄さんは 敗戦を 中国の内陸部で迎えた。2年間、歩いて 
広州の海辺に たどり着き 日本に戻れた。その2年間、中国の
人たちに 仕事を させて もらって 食べていた。昨日まで 
中国の国を荒らし、人々を殺していた日本兵に 中国の人々は 
仕事を与え、食べ物を 与えてくれた。(高齢になってからの
思い出話なので記憶違いもあるかと思う)。
お兄さんも 数年前に 亡くなった。今 生き延びて 外国の人が 
和歌山で ナンギしているのを 見ると 少しは 役に立つことを 
したいと思う。
菊池章子「岸壁の母」or 中国に行かされた日本兵






Posted by 伝兵衛 at 16:10│Comments(0)
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