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伝兵衛
伝兵衛
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2013年04月27日

ホームレスの人へのインタビュー

てのはし会報25号(2013年3月28日発行)から抜粋。
p.9~10「まだ死ぬ運命では ないんやな」。
TENOHASIに出会い、生活保護から就職に
至るまでのこと。
18歳から30歳まで暴力団にいたが、いやに
なってやめた。それからは飲食関係で働いた。
38歳で勤めていた警備会社を首になり、社長を
殴って1年 服役した。出所したのは 一昨年の
秋の初め。
首をつろうとしたけど、ロープが切れて「まだ死ぬ
運命では ないんやな」と思い、2日間 樹海を
さまよった末に街にでた。
保護施設に行ったら 暴力団をやめたという証明を
だせと言う。脱退証明は 組関係者に回すモノで、
本人がもっていることは ありえない。警察に本人が
「脱退した」と言いにいって警察の名簿から抹消して
もらうしかない。
それから 2週間かけて歩いて東京へ行った。新宿
市役所で相談したら「とまり木」(相談施設)を紹介されて、
そこで炊き出し情報のメモと乾パンをもらった。それからは 
炊き出しだけで 生きていた。
去年の5月、池袋駅公園で お弁当をもらうために並んで
いたら、tenohasiのちらしをくれた。シェルターにすぐ、
いれてもらった。
暴力団脱退証明が 警察から送られてくるまで生活保護を
受けられなかった。現役やくざの不正受給でないか どうか
調べるのに一ヶ月かかる。生活保護が決定したのは6月末。
介護の仕事が食いっぱぐれが ないんじゃないかと思った。
ヘルパー2級で3年の経験と講習を受けたら介護福祉士に
なると 教えてもらった。去年 秋からヘルパーの養成校に
行った。費用は生活保護の職業訓練給付で出してもらった。
今年に入って、ヘルパー2級がとれて、すぐに認知症の
グループホームへの就職が決まった。3月から働き始めて、
給料が入ったら生活保護は打ち切る予定。
今の仕事に就いたきっかけは 去年 夏にハナマイ(世界の
医療団 池袋事務所)で食事会に参加したことだった。そこには 
いろいろな情報をもっている人がいる。そこでの話の中で 
介護福祉士になりたいと思い、相談したことで 今の仕事に
つながった。
障がい者は社会から疎外されている。障がい者と健常者が
共に生きることが できるように TENOHASIには 
その架け橋の役目をしてほしい。


  


Posted by 伝兵衛 at 05:36Comments(0)路上生活