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伝兵衛
伝兵衛
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2012年07月06日

漢方医療

依存症の方々は 身も心も 壊れそうになり、あるいは 
壊れて 手当てが要ります。そこで 漢方についての記事を:

”日本医学の開拓者たち”
津田篤太郎
月刊「図書」2012年7月号 p16~19.から抜粋。
原文は 買って読んでください。定価100円。

 私が専門に診ているのは免疫の異常にかかわる病気である。
この疾患は何種類もあるが、それらに対してはある程度明確な
「定義」というものが存在する。
だが、現実には「定義に すっぽり はまるご実例」は案外少ない。
しかも、ほかの内科医を悩ませた、いずれの定義にも はまらない
症例こそ、われわれ膠原病内科に紹介されてくることが多い。
 こうしたケースに 対応するには、今までとは全く違う方法論が
必要ではないかと私は考え、漢方を勉強することにした。漢方は
非常に長い歴史があり、その時間の厚みが処方の安全性を担保している。
いざ、漢方を勉強してみると、「気血水」や「陰陽虚実」など、漢力
特有の概念の難解さに戸惑うことになった。これらの概念は、
明確な「定義」に裏付けられ、疾患をカテゴリー化するものとして機能
しているのではない。これらは、いわばパラメーターとして機能して
おり、個々の患者の状態が漢力独特のものさしに定位されるのである。
そして、最もバランスのとれた状態(いわゆる「健康な」状態)から、
どの方向へ、どのくらい偏移しているかによって、漢方の処方と
容量が決まる。
司馬遼太郎の『胡蝶の夢』や手塚治虫の『陽だまりの樹』などに見られる
ように、漢方医は長い間、既得権益にしがみつく守旧派であるかの
ように描かれてきたが、実情はそうではない。彼らは中国医学もオランダ
医学も貪欲に吸収し、さらに自分たちの頭脳を働かせて工夫を加えて
いたのだ。かくして、幕末期には日本の医学は、世界のどこにもない、
独自の発達を遂げていたのである。

日本東洋医学会前会長の寺澤捷年氏は、日本の医学が大きく発展
する契機を作った人物として、吉益東洞の名を挙げている
(『吉益東洞の研究』2012年)。
吉益東洞とは、1702年に安芸の国に生まれ、1773年に京で没した
漢方医である。東洞の「万病一毒説」に基づく治療はかなり効果が
あったようである。のみならず東洞の学説は後世に大きな影響を与えた。
それは単に効果があったからではなく、従来の医学に懐疑の眼を向け、
自分の目で観察した具体的事実に基づいて主張を展開していくという
東洞の姿勢が、強い説得力を持っていたからであろう。そしてこの姿勢
こそが、日本におけるオランダ医学受容の一端緒を開くことになった。
それが証拠に、杉田玄白をはじめ、日本のいわゆる「蘭方医」のほとんどが
東洞の弟子筋である。彼らがオランダ医学に盲従したわけではなく、批判
すべきところは批判していたことは先述の通りであるが、
これも東洞の衣鉢を継いでいるからなのであろう。
(つだ とくたろう・JR東京総合病院 リウマチ膠原病科)
  


Posted by 伝兵衛 at 11:05Comments(0)こころのケア