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2009年06月24日

落語「芝浜」/アルコール依存症者の「底つき体験」

藤山直樹(精神科医、上智大教授)、”落語と精神分析3.
変わること、夢見ること~人情噺「芝浜」、
月刊「みすず」2009年6月号、p.22-33.

以下 上記記事から ごく一部の抜粋。
本文は買って読んでください。

「芝浜」はアルコール依存の夫が夫婦愛のなかで 立ち直っていく
という筋を持つ。そこでは 精神医学的実践のなかでも最高の
難題のひとつ、アルコール依存からの回復が語られている。
主人公の魚屋の亭主は 根本的に生き方を変化させるのである。

アルコール依存の臨床の世界では しばしば「底つき体験」という
言葉が用いられる。

アルコール依存者、いわゆるアル中の人は治療に入る前はたい
てい自分の意思で酒をコントロールできると思っている。そう
思っているあいだは、残念ながら彼らの人生はまずよいほうに
向かうことはない。いわゆるアル中の生活が続くだけだ。だが、
何らかの人生上の体験をきっかけに、彼らが真実に目を開くこ
とがある。自分は酒を適度に飲むことはできない、飲んだら人
生を破局に追い込むことしかできない、だから生きていくには
もう酒をやめるしかない、でも飲むことをやめることはひとり
ではできそうもない、専門家の手助けが必要だ。このようなこ
とを実感して、彼らは治療に入ってくる。彼らが回復するとす
れば、その転機の後である。

アルコール依存者が「底つき」を体験し、自分にはアルコール
を安全に楽しむ能力が完全に失われていて、世の中で生きて
いくには酒との縁を切るしかない、という理解に達することは、
そう筒単なことではない.ほとんどのアルコール依存者は酒と
人生の両立が可能だと現実を否認して考えているし、「酒のない
人生など生きていく価値はない」と明確に回復する意思のない
ことを告げることもある。少なくともその人はその時点では
アルコール依存の治療をする気持ちはないのだ。

現実のアルコール依存の臨床でも、夫のアルコール問題に最初に
気づき、悩まされるのはたいてい妻である。
そうした妻は、患者が酔いつぶれても介抱し、吐いたものを片付け、
布団に寝かしつけ、こうした行動が夫のアル中生活を支援
していることはいうまでもない。そしてそうした妻は、夫に酒を
やめろといったり、酒を 隠したりする。こうした、一見
アルコールをやめる方向へのはたらきかけも、夫がアルコールの
問題を自分の問題として考えることを結果的に妨害する。
夫は妻に謝ったり、うるさがったり、怒ったりしていればいいので
あり、夫自身の問題としてアルコールの問題を考えることから
遠ざけられるのである。

アルコール依存の臨床では、そうした妻が専門家に相談に
行くところからことが始まる。二人のあいだの反復的なパターンを
断ち切るには、他者の介在が必要である。専門家の助言に
支えられて、妻が夫のアルコール依存行動と独立して
生き始め、アル中生活の支援も妨害もしないようになると、
夫は自身のアルコール依存によって引き起こされる困難に
自分自身で直面し、ぎりぎりまで追い込まれざるをえなくなる。
これが「底つき」であり、そこからアルコール依存者は援助を
求める方向に向かう可能性が生まれるのである。

「芝浜」では 断酒の過程に 妻が大きく関与している。酒を
飲まないで働くという生き方を女房が指し示している部分は
大きい。
これは先ほど述べたアルコール問題の専門家が薦める、夫が
とことん自分で苦しむことを傍観し、巻き込まれず巻き込まずに
生活する、という、夫の「底つき」を促進する妻の態度とは
異なっている。夫は単に妻にほだされて断酒し慟いているように
見える。臨床の常識から言えば、これでは、真のアルコール依存
からの脱出という変化は達成されないのではないだろうか。
 さらに私が疑問なのは、これだけ亭主を動かしておいて、い
ったいなぜ女房はまた酒をすすめるのだろうか、ということで
ある。

三木助バージョンにせよ 談志バージョンにせよ、結局 亭主は 
女房の動きを関連して酒をやめている。真の認識の転換、
「底つき」を体験し、変化の方向へ舵を切ったようには 
みえない。
ほんとうに亭主は変化と解決の過程に進んでいるのだろうか。

★ブログ管理人の蛇足:
非行していくうちに 薬物濫用にたどり着く子どももある。
「底をつく」のを 待つのは しんどいです。

芝浜は 東京の落語で、大阪の落語家は 演じない
ようです。あんまり 楽しい話しでは ないです。  


Posted by 伝兵衛 at 16:10Comments(0)薬物依存症