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伝兵衛
伝兵衛
オーナーへメッセージ

2017年08月30日

ホームレスから戻った人(2


元々の生活が終わった日は大掃除の日だった。
掃除機のコードが足に からまって こけて
テーブルの角に背中を打ちつけ、脊椎骨が二つ
折れた。両脚が動かなくなった。2回手術し、
幾度も入院した。車椅子に乗って退院した時
彼は歩く練習をしなければ ならなかった。
ウードは この時 53歳で、広告写真家で広告
営業マンだった。高給をとっていて、ミュンヘ
ンで200平方メートルのマンションに妻と娘と
暮らしていた。
1年以上の入院とリハビリの段階の間に二つ目
のナンギが起きた:当時の上司が解雇通知を
送ってきた。
ウートは告訴することにした。四度の審理の
間に彼はカネをすべて使いきっただけでなく、
妻が彼の会社の役員と不倫していることが分か
った。彼の世界は決定的に崩れ落ちたと彼は
言う。彼は破産した。妻と別れ、マンションを
解約する他なかった。ウードは思い出す:
「墜落した。あの頃、ずっと車椅子に座って
いて、精神病院に入るような段階だった。もう
生きる気がしなかった」。(つづく)
下記サイトから:
http://ze.tt/einmal-obdachlosigkeit-und-zurueck-wie-udo-die-zeit-auf-der-strasse-ueberstand/?utm_campaign=zonparkett&utm_medium=parkett&utm_source=zon


  


Posted by 伝兵衛 at 14:38Comments(0)路上生活

2017年08月29日

ホームレスから戻った人(1


ウードは路上生活をどう乗り越えたか。
ウードは恵まれた生活をしていた。その後
全てが崩壊し、幾年かを路上で生き延びなけれ
ばならなくなった。しかし思いがけなく新しい
生活が始まった。
二つの転機が彼の生活を本質から変えた。最初
の転機はホームレス生活をもたらし、乞食を
してビン拾いをすることになった。もう一つの
転機は偶然、彼をホームレスから脱出させた。
(つづく)
下記サイトから:
http://ze.tt/einmal-obdachlosigkeit-und-zurueck-wie-udo-die-zeit-auf-der-strasse-ueberstand/?utm_campaign=zonparkett&utm_medium=parkett&utm_source=zon


  


Posted by 伝兵衛 at 16:36Comments(0)路上生活

2017年08月28日

ホームレスへの往診inマインツ(連載5,最終回(写真集


下記サイトに写真13枚:
画面右の>をクリックすると次の写真が出る。
http://www.zeit.de/gesellschaft/2017-07/arzt-armut-obdachlos-fs
マインツはドイツのラインラント・プファルツ
州の首都。マイン川とライン川の合流点にある。
★写真9:マインツ中央駅の橋の下にホームレ
スは住処を作っている。
★写真10:Bingenで医療用車を使って診察。
Dr.Trabertは子どもの頃、孤児院で多くの時間
を過ごした。彼の父は そこで働いていた。
そのお陰で不利な状況にある人々の運・不運に
対する感受性を高めた。
★写真11:コンテナ村でも診察する。「医者の
車が来てます。必要な人は いないか?」と彼
は住人に呼びかける。
★12:マインツのヴァル通りの近くの森にラス
カルという犬と一緒に暮らすホームレスのグル
ープがある。ここへも彼は医療用車で 度々来
る。
13:写真は「貧しい人の医師」という書名の
写真集の表紙。写真家 Andreas Reeg著書。
(おしまい)


  


Posted by 伝兵衛 at 09:32Comments(0)路上生活

2017年08月27日

ホームレスへの往診inマインツ(連載4(写真集


下記サイトに写真13枚:
画面右の>をクリックすると次の写真が出る。
http://www.zeit.de/gesellschaft/2017-07/arzt-armut-obdachlos-fs
マインツはドイツのラインラント・プファルツ
州の首都。マイン川とライン川の合流点にある。
★写真6:Dr.Trabert は患者を大切にする気持
ちをもって患者と会う。患者は保険に入って
いたとしても、汚名を着せられるという不安か
ら医者へ行かないことが しばしば起きる。
この写真で彼は患者とホスピスへの転院に
ついて話し合っている。
★写真7:自家用の医療用車を使わないで
マインツの患者のところへ行くこともある。
この写真ではドゥサさんを路上に会いに行って
いる。
★写真8:ドゥサさんはDr.Trabertと別れる時、
彼の手を自分の額に当てている。このプロジ
ェクトの写真は 威厳のある親密さを捉えて
いる。「目に見える威厳と愛に満ちた敬意に
この写真は基づいている」とDr.Trabertは
讃える。(つづく)


  


Posted by 伝兵衛 at 15:11Comments(0)路上生活

2017年08月26日

ホームレスへの往診inマインツ(連載3(写真集


下記サイトに写真13枚:
画面右の>をクリックすると次の写真が出る。
http://www.zeit.de/gesellschaft/2017-07/arzt-armut-obdachlos-fs
マインツはドイツのラインラント・プファルツ
州の首都。マイン川とライン川の合流点にある。
★写真4:マインツのヴァル通りの近くの森の
中にあるホームレスの住む所。貧困によって
社会に参加する可能性が少なくなるということ
だけでは ない。世界で最も豊かな国の一つに
おいて 貧困のために早く死ななければなら
ない。ドイツでは貧しい人の ほぼ1/3は65歳
になるまでに死ぬ。
★写真5:Wolfgangは84歳。そのうちの半分の
年月を路上で生きた。(つづく)


  


Posted by 伝兵衛 at 14:18Comments(0)路上生活

2017年08月25日

ホームレスへの往診inマインツ(連載2(写真集


下記サイトに写真13枚:
画面右の>をクリックすると次の写真が出る。
http://www.zeit.de/gesellschaft/2017-07/arzt-armut-obdachlos-fs
マインツはドイツのラインラント・プファルツ
州の首都。マイン川とライン川の合流点にある。
★写真2:アネリーゼは腕に包帯を巻いている。
Dr.Trabertが自分の医療用車を使って してい
ることは 既に長い間、マインツ・モデルと
なっている。健保に入っていない人や恥辱感の
ために医者へ行けない人のために 敷居の低い
医療を提供するのが マインツ・モデルだ。
貧しい人は早く死ぬ。貧しい人のうち31%は
65歳まで生きていない。そこで Dr.Trabert は
20年前から貧しい人や健保に入っていない人を
治療している。汚名を着せられる不安から 
このような患者は医者へ行けない と彼は言う。

★写真3:ドイツでは約18000人が路上生活して
いて、その90%が医師による永続的な治療を
必要としていると Dr.Trabertは見積もる。
この写真で 彼はDusanを治療している。
写真家 Andreas Reeg は三年間 この医師と
患者に付いて回った。彼はこの写真プロジェク
トによって医師とホームレスのことを見て欲し
いと考えている。(つづく)


  


Posted by 伝兵衛 at 15:07Comments(0)路上生活

2017年08月24日

ホームレスへの往診inマインツ連載1(写真集


下記サイトに写真13枚:
画面右の>をクリックすると次の写真が出る。
http://www.zeit.de/gesellschaft/2017-07/arzt-armut-obdachlos-fs
マインツはドイツのラインラント・プファルツ
州の首都。マイン川とライン川の合流点にある。
★Andreas Reegによる写真集は2017年7月
に出版された★
路上生活者は医者へ行く気になれない。医者へ
行けば定期的に行くことになる。それで医師
Gerhard Trabertは路上へ往診に行くことに
している。
写真1.病気をすると貧しくなり、貧しいと病気
になる。この悪循環を絶とうとDr.Trabertは
努力している。マインツとその近郊で 路上
生活者・貧しい人・健康保険に入っていない
人を Dr.Trabertは20年前から治療している。
この写真では 患者のアネリーゼ・シュナイ
ダーを彼の医療用車から診察している。
(つづく)



  


Posted by 伝兵衛 at 18:21Comments(0)路上生活

2017年03月26日

ホームレス・路上で凍える(9最終回)


★昨日のつづき:
ホームレスのダリウスは こういうサービス
を全く無意味だと思っているわけでは ない。
彼の友人は新しい寝袋が欲しい。友人の寝袋
は雪でずぶ濡れになったのだ。靴とズボンも
あれば良い。しかし靴もズボンも「寒冷バス」
運転手のヤニクは渡せない。そういう物は
緊急宿泊所で配られる。けれどもダリウスも
友人も緊急宿泊所に入りたくないのだ。
ベルリンの教会の「寒冷バス」は11月1日から
3月31日まで毎晩9時から未明の3時まで運行
される。もしホームレスを見かけたら、支援
が要るか どうか尋ねてみてほしい。非常の
場合はホームレスの代わりに電話して下さい。
下記サイトで 零下の寒さの中 野宿する
様子を動画で見られる:
https://www.welt.de/vermischtes/article161818287/Warum-viele-Obdachlose-nicht-in-Notunterkuenfte-wollen.html


  


Posted by 伝兵衛 at 17:51Comments(0)路上生活

2017年03月25日

ホームレス・路上で凍える(連載8)


★3月13日のカキコミのつづき:
緊急宿泊所に泊まりたくないと言わせる最大の
障壁は 酒の禁止だ。部屋の中だけでなく、
敷地内でも飲んではいけない。ホームレスは
宿泊所に入る時に 身につけている物の他は
全て預けなければならない。酒も覚せい剤も
である。緊急宿泊所の班長テレザは言う:
「私たちは酒などを預かる。宿泊者の荷物を
管理しているのではない。押収しているの
でもない」。翌朝に宿泊者は荷物を受取る。
(つづく)
下記サイトで 零下の寒さの中 野宿する
様子を動画で見られる:
https://www.welt.de/vermischtes/article161818287/Warum-viele-Obdachlose-nicht-in-Notunterkuenfte-wollen.html


  


Posted by 伝兵衛 at 16:43Comments(0)路上生活

2017年03月13日

ホームレス・路上で凍える(連載7)


多くのホームレスは 遠慮と自尊心(誇り)と
いう複雑な気持ちのため、どの支援を受けいれ、
どの支援を断るかを 吟味する。これは どう
いう ことなのか?「彼らは長年 路上で
暮らしていて、一つの部屋に多くの人と一緒に
幾時間も過ごすことには 慣れていない」と
支援者のテレサは言う。そのうえ160人の
ホームレスが靴を脱ぐときに漂う悪臭は耐え
がたいのだろう。ホームレスは 二人以上に
なると 僅かな全財産を駆けたりするのも
困ったものだ。(つづく)
下記サイトで 零下の寒さの中 野宿する
様子を動画で見られる:
https://www.welt.de/vermischtes/article161818287/Warum-viele-Obdachlose-nicht-in-Notunterkuenfte-wollen.html


  


Posted by 伝兵衛 at 13:13Comments(0)路上生活

2017年03月10日

ホームレス・路上で凍える(連載5)


(3月4日のカキコミの続き)
ホームレスのヤインも緊急宿泊所へ行く気が
しない。ある時 彼はベルリンから他所へ
連れて行かれそうになり、怒った。「私は
ベルリン人だ」。どういうふうに生きて行く
かは 自分が決める。そっと して おいて
くれ。
ホームレスを訪問する「寒冷バス」の事務所に
毎晩 平均18~25の電話がかかってくる。この
冬の最も寒かった1月6日の夜には8時間の間に
104回電話がかかった。
「この冬に 一晩で10回以上 別の場所へ
バスで行ったことが2度あった。しかし誰も
緊急宿泊所へ行く気がなかった」と寒冷バス
の運転手ヤンクは言う。これは ベルリン市
当局にとっては 幸運なことだ。ベルリンに
3300人以上のホームレスがいる。緊急宿泊所
全部を合わせても 770のベッドしかない。
(つづく)
下記サイトで 零下の寒さの中 野宿する
様子を動画で見られる:
https://www.welt.de/vermischtes/article161818287/Warum-viele-Obdachlose-nicht-in-Notunterkuenfte-wollen.html


  


Posted by 伝兵衛 at 17:17Comments(0)路上生活

2017年03月04日

ホームレス・路上で凍える(連載4)


その夜、教会組織が寝袋を配っていて、初めて
もらい手が見つかったのは 一時間以上たった
後だった。55歳の男ヤインは外で寝られない。
なぜなら二三日前の夜、不注意のため寝袋に
ろうそくの火が 燃え移ったからだ。寝袋の
ポリエステルが燃え、腕と背中にやけどした。
教会の運転手ヤニクはヤインに断熱マットを
差し出したが ヤインは断った。マットは
ヤインのやり方に合わないと言うことだった。
しかし彼の足は冷たく、青くなっていた。
(つづく)
下記サイトで 零下の寒さの中 野宿する
様子を動画で見られる:
https://www.welt.de/vermischtes/article161818287/Warum-viele-Obdachlose-nicht-in-Notunterkuenfte-wollen.html



  


Posted by 伝兵衛 at 14:43Comments(0)路上生活

2017年03月03日

ホームレス・路上で凍える(連載3)


夜、路上で寝ると 凍えるので ないかと
問われて、ナタリアは そうでないと言う。
幾枚もの毛布と枕があれば、暖かくしていら
れる。朝 起きてトイレに出かける時だけは
寒い。温かい紅茶は要らないか と問われて
ナタリアは これも断る。ビールを飲めば
暖かくなる。ドイツではビールなのだ。
(つづく)
下記サイトで 零下の寒さの中 野宿する
様子を動画で見られる:
https://www.welt.de/vermischtes/article161818287/Warum-viele-Obdachlose-nicht-in-Notunterkuenfte-wollen.html

  


Posted by 伝兵衛 at 11:10Comments(0)路上生活

2017年03月01日

ホームレス・路上で凍える(連載2)


しかしナタリアは 緊急宿泊所は嫌だ。建物の
入り口にマットレスを敷いて寝た方が良い。
次の朝には そこを離れる。建物の管理人が
教会の組織に通報するから。
女性が路上生活するのは例外的だ。「ホーム
レスの女性は多くない。大半の女性は路上に
生きるよりも 困難な人間関係の中で生きる
方を選ぶ」とTheresaは言う。彼女はリハビリ
教育学を専攻し、中央駅にある緊急宿泊所で
働いている。女性専用の宿泊所は ごく少ない。
男女共用の宿泊所では男性の人数が多いので
女性は そういう所を避ける。(つづく)
下記サイトで 零下の寒さの中 野宿する
様子を動画で見られる:
https://www.welt.de/vermischtes/article161818287/Warum-viele-Obdachlose-nicht-in-Notunterkuenfte-wollen.html


  


Posted by 伝兵衛 at 18:21Comments(0)路上生活

2017年02月28日

ホームレス・路上で凍える(連載1)


なぜ ホームレスの多くは緊急宿泊所を嫌う?
北ドイツは寒いのに、ベルリンだけでも3300人
が冬に路上生活する。教会の組織は 寝袋と
緊急宿泊所を用意しているが、多くのホーム
レスは 感謝しながらも これを断る。
夜9時を過ぎると気温は零下になる。ナタリアは
マットレスを40歳のパキスタンの難民である
友人(男)と分け合っている。マットレスの
上に三枚の毛布を置く。
ヤニク(21歳)はナタリアと友人を連れて
きたい。ヤニクはベルリンの教会組織の
運行する「寒冷バス」の運転手だ。夜8時から
夜中の3時までの間、通行人は この組織に
電話して ホームレスがいることを通知する
ことができる。電話を受けると ヤニクは
ホームレスの所までバスを走らせ、熱い茶と
寝袋と断熱マットを配る。希望する人はバスで
緊急宿泊所へ運ぶ。(つづく)
下記サイトで 零下の寒さの中 野宿する
様子を動画で見られる:
https://www.welt.de/vermischtes/article161818287/Warum-viele-Obdachlose-nicht-in-Notunterkuenfte-wollen.html


写真提供:lovefreePhoto
  


Posted by 伝兵衛 at 17:35Comments(0)路上生活

2016年07月23日

ホームレスへの支援inバルセロナ

ホームレスフォント:路上生活者を集めて字を書いてもらう
ワークショップを行い、その字体をスキャンし、デザイナーの
協力を得て、「ホームレスフォント」というウェブサイトが生ま
れた。そこには、路上生活者の顔写真・人生の物語と彼らの
アルファベットが「フォント」という商品として載り、販売される。
フォント料は路上生活者個人に入るのではなく、財団の活動
資金になるが、「自分の字が印字されたワインボトルが店頭に
並んだところを見て、役に立てたという喜びでワクワクした」と
提供者のロレーヌは言う。下記サイトが Homelessfonts:
http://www.homelessfonts.org/

ホームレスの案内によるバルセロナ観光ツアもある。手に職が
あるのに失業し、路上生活になった人々の前職を生かし、
元料理人による市場同行ツアなど。料金は15ユーロ。
路上生活者も、助ける方も、社会も、慈善事業という枠組みを超え、
お洒落で楽しいことをしようという考え。
以上、大野ゆり子、”バルセロナの窓から ホームレスのための
ユニークな支援”月刊 中央公論、2016年8月号、P.182~183 
から抜粋。もとの記事を買って読んでね。

写真は秋葉町にあったダルクの隣家のジャスミン。
道路拡張のため庭も消え、野良猫は南の集合住宅の
空き地や 秋葉山で過ごしてます。

  


Posted by 伝兵衛 at 19:34Comments(0)路上生活

2016年07月10日

ホームレス川柳

盆がくる 俺は実家で仏様、藤太

この句は「路上のうた ホームレス川柳」700円 より。
職も住居も失った路上生活をうたった六人の合同句集です。
この文庫サイズの句集は「ビッグイシュー」という雑誌と
一緒に街角・橋詰・駅前などで売られている。
やむなく家郷と縁が絶え、もはや生きては いまいと
弔われていよう、そんな述懐が後輩たちの再起の糧となる。
以上 月刊「みすず」2016年7月号 巻頭・表紙の裏から抜粋。

★薬物・アルコール依存症者のいる「実家」では 実家の
持ち主である親が 依存症者を避けるために 家を出て
別の場に引っ越すことが あります。せっかく引越しても
依存症者が 半年もしたら 場所を探りあて、親は又
逃げたりします。
うちの近くでは 親が三度目の引越の末、やっと安全に
暮らせたという例がありました。(十年以上前のことで
ダルクと無縁の事件でした)。
引越を繰り返す親の弱みに つけ込み、「引越しを手伝って
やるから 息子のサラ金からの借金をまとめて 俺に引受
させよ」と 悪徳金貸し業者に 言われて だまされました。
この業者を相手に過払い金返還請求をしたら 自分の
所在が息子にバレて追われるかも知れないという恐怖の
ため 返還請求もできない。

  


Posted by 伝兵衛 at 08:55Comments(0)路上生活

2016年06月03日

アルコール依存症でホームレスの人(3

不運なことは他にもあった。長靴をはいた禿た男が ベビーカーを押す
ベトナム女性にからんでいたので 私は割って入った。そばに あと
二人が立っているのに 気が付いて いなかった。彼ら三人は 私を
蹴り倒した。肋骨が折れ、鼻も骨折し、歯が折れた。タクシー運転手が
野球のバットをもって 走ってきてくれた。命の恩人だ。
そのあと私は用心深くなった。広々とした場所や観光客のいる
場所は安全だ。動物園で襲われてから 身分証明書を持たなく
なった。役所へ行くことへの ためらいは大きい。反社会的な人が
私に浮浪者と言ったら、私は自制心を失う。自分では反社会的
だと自覚していない。(つづく)
下記サイトから:
http://www.zeit.de/gesellschaft/zeitgeschehen/2015-11/obdachloser-alkoholiker-therapie

写真提供・asamaさん  


Posted by 伝兵衛 at 17:34Comments(0)路上生活

2016年05月31日

アルコール依存症でホームレスの人(2

生き延びる法則としては まず胃が大事で、それから肝臓、余裕が
あれば肺のことを考える。食べることに注意しない人もいる。考えて
生きていなかったら路上で 58歳までも もたなかっただろう。
生活を支える枠組みのようなものは ある。あるディスコで瓶を
回収する独占権を持っていた。その店へ数回 行ったら、警備の
人が「デポジットつき瓶だけでなく 全部の瓶を片付けてくれたら 
他の回収の人は断る」と言うてくれた。
若者がパーティをやって 気分の良いときには 二、三ユーロくれ
たりする。この仕事も 2回つづけて 回収に行かなかったら 
もう回収させてもらえなくなる。
路上生活で 良かったことを話したい。ゴミ箱の中に携帯電話を
見つけて、届けたら450ユーロもらったことがある。ポケットに
小さいラジオを入れて、イヤホンで聞いている。ボケ防止のために。
しかし悪いことも あった。動物園でネオナチに襲われた。ホーム
レスが どこに居るか知っていて、探しては襲う一団がいる。幸い
彼は酔っ払っていたので、逃げられた。(つづく)
下記サイトから:
http://www.zeit.de/gesellschaft/zeitgeschehen/2015-11/obdachloser-alkoholiker-therapie

写真は 南海 孝子駅の北。この南の小川に一昨年までは
蛍が いた。今は 多奈川まで 行けば 蛍を見られる そうです。  


Posted by 伝兵衛 at 15:42Comments(0)路上生活

2016年05月30日

アルコール依存症でホームレスの人(1

2015年11月25日発:クラウス(58歳)は40年間 酔っ払ってきた。
路上生活するようになり、殴られて死にかかった。それから回復し
始めた。
ホームレスが生きるには 色々な方法がある。麻薬を売る、盗む
など不法なことをする。合法的 生き方としては 路上で歌ったり
演奏したりする、新聞を売る、乞食をするなど。
友達に煙草をせびったりは しない。音楽はできない。新聞売りも
私に合わない。瓶を集めることはする。
アホだったので ホームレスになった。問題が起きると 問題から
逃げた。煙草栽培農場で働いていて、仕事にも慣れていたのに
ケンカして別れてしまった。納得いくまで話し合うこともなく、飛び
出した。それが13年前のことだ。実は別の地方で働くつもり
だったが、ベルリンに来た。
最初のうちは楽しかった。少しは金もあったし、春で暖かかった。
酒のみ集団は酒の最後の一滴が無くなるまでは 楽しい。
その後 口論になる。(つづく)
下記サイトから:
http://www.zeit.de/gesellschaft/zeitgeschehen/2015-11/obdachloser-alkoholiker-therapie

  


Posted by 伝兵衛 at 18:37Comments(0)路上生活